金 光 教 合 楽 教 会 の 御 理 解

平成12年8月3日 朝の御理解(親先生)


御理解第40節
 重い物を負うておるか担いでおれば苦しいが、そうでないから信心は楽じゃ。家
  業を勤め勤めするがよい。


楽じゃというても、苦労せんでよいというのではない。苦労そのままが修行じゃと
悟ることで、家業全体が修行、それが有難い勿体ないと感じられてくるから、信心
は楽ということになるのです。
今朝より、大橋町の久保山さんがお礼お届をされるのに「毎日、畠の草とりをさせ
て頂きながら、取っても取っても生える雑草と取り組んで、自分の心の中にもこの
ような雑草の様なものがあることに気付き、暑さも感じず終日御用させて頂きまし
た」と。
信心はこれだと思いました。                (昭45・7・22)


 これまでの宗教観念の中に、信心するということは、特別なことをするような観
念があったと思うんですね。ですから、禁欲主義的な生活に入っていったり、様々
な難行苦行に入っていったり、または、御霊供養をしたりというようなことになっ
ていった、と思うのです。
 今日の御理解を頂いて、教祖のご信心を分からせて頂けば頂くほど、教祖という
方は生活者、いや、プロの生活者だと思いますね。「日に日に生きるが信心なり」
とおっしゃいますが、「人はこうやって生きるんだよ」と、手本を示しておられま
す。好むと好まざるとにかかわらず、誰しも、この人生の土俵に上がらなければな
らないわけです。ところが、今までの信心のパターンからいきますと、人生の様々
な問題が起きてきた時に、例えば徳の高い先生にお願いして、問題を取り除いても
らって助かってきました。それでいいのでしょうか。
 桂松平先生の姿勢の中に、こと神様事には、前には進んでも後ろには退きません
という、「不退転の心」というものがあられますが、その不退転の心が大いに発揮
されましたのが、例の本部広前のご造営です。
 今月の16日には、その桂松平先生の本部広前御造営の願いが発端となりました大
祈願祭が仕えられます。この願いは、確かにその時代では本当だったと思うのです。
当時の教祖様のお広前のことを思いますと、そうせずにおれなかったし、そうせざ
るを得なかっただろうと思うのです。
 しかし、桂松平先生が今日おられるならば、間違いなく「日天四の照らす下、万
国まで残りなく金光大神でき」という熱願に燃え立たれるだろうと思います。です
からこの大祈願祭を、私は、「和賀心世界布教運動」と銘打つわけです。これは、
私の祈願の内容です。皆さんには、めいめいの切実な願いがありましょうから、そ
れを包含する、何もかも願えるご大祭に、どうでもさせて頂きたいと思っておりま
す。
 この度、秦先生一家が四国に布教しますので、そのお祝いに「土の心 ここから
すべてが生まれる」と書かせて頂きました。教祖様のご信心を学ばせて頂くと、教
祖様という方は、「受けて受けて受け抜かれた方」ですよね。ですから、「生きて
おる間は修行中じゃ」とか、「地が肥えておればひとりでに物ができるようなもの」
というような御理解になってくるわけですが、昨日ある方が、「合楽の『黙って治
める』というのはおかしい。黙認していたら、悪いことを助長してしまうことにな
る」と言われました。
 それは、それぞれの生き方、それぞれの信心の有り様がございましょう。しかし
どうでしょうか。そういう時、力で、金で、知恵で治めようと、それで今日まで何
千年ときたのではありませんか。それで問題が本当に解決したでしょうか。
 「地の心で黙って治める」というような解決の仕方は、今の世の中の常識からす
れば、馬鹿げたことかも知れません。受けて受けて受け抜く生き方は、それこそク
レージーと言われるかも分かりません。しかし教祖様は、そのようにしておかげを
受けられたお方です。また、大坪総一郎という方は、そのようにして合楽を開かれ
たのです。そして私が十何年間、そのことの間違いなさを実験実証しております。
 これは面白い記述なんですが、教典のP103の2行目から見て下さい。神前撤去
後、約1カ月ぶりに神様が教祖に語りかけられています。「金光生まれ変わり」と
いうような劇的なくだりになるんですが、その後に「一つ、子供に申し渡し。反物
あっても仕立てな、時のはやりがあるから。一つ、しま木綿すな。一つ、白木綿吟
じていたし、ためおきよし。一つ、売り布はすな」とお知らせがあります。なぜこ
んなことまで神様が指示されるのだろうか、と思うのです。このようなお知らせが
随所に出てきます(P94bW・P10026・P10624など)。しかも、何か事があ
る度に出てくるんですね。
 これは初代がおっしゃるように、日常茶飯事に関わってみえる神様であり、何か
事がある度に、いかに足元手元を大事にせよとおっしゃったか、という印です。
 そういう意味でも、教祖様は生活者です。近藤藤守師に、「山にこもって特別な
修行をしなくても、日常茶飯事を有り難く受けていけばよい」とみ教えされたよう
に、身の上に起こってくることを受け抜かれ、力を受けられたお方です。私達は人
生という土俵に上がらなければならないのですから、家業の行を通して、めいめい
が信心のプロ、生活者のプロを目指さなければならないということですね。どうぞ。


平成12年8月1日 月例祭御教話(親先生)


 教祖金光大神様は「子孫繁盛家繁盛の道を教える」と御教えされ、初代は「道と
いう言葉に迷うことなかれ 道は教えを踏むほかはなし」と言われますが、金光教
の道とは、また、初代が教えられた道とは、一体どういう道だったのでしょうか。
教祖様は普通の人間として生まれて、様々な問題に出会い、私達と同じように悩ま
れながら信心を進められ、文治大明神から生神金光大神までご神格を高められた方
です。初代も様々なところを通られ、信心の階段を一段一段上られました。お二方
とも、最初から人間ができておられたのでもありませんし、信心ができておられた
のでもありません。
 和賀心学第2巻の26章に、初代がどのようにして信心を進められたか、端的に
書かれています。
≪私の信心の進め方を簡単に申しますなら、こういうことが言えるのじゃないかと
思うのです。「落ちぶれて 袖に涙のかかるとき 人の心の奥ぞ知らるる」という
歌がありますが、私の場合は、ここのところが「人の心」ではなくて、「神の心の
奥ぞ知らるる」ということに、いつもなっておると思うのです。「落ちぶれて 袖
に涙のかかるとき 神の心の奥ぞ知らるる」。落ちぶれてということ、まあ、さま
ざまな難儀に直面する度に、人の心が分かるのじゃなくて、その度に、いよいよ神
様の心の深さ、思いの深さ、神様が私どもを思うて下さるそのお心の深さを、いよ
いよ分からせて頂くというのです。
 これは私の、ここ二十何年間の一貫した信心姿勢だというてもよいと思うのです。
私の場合、「あれがああしたから、これがこう言うたから」ということではなかっ
た。それは、泥棒じゃと言われ、乞食じゃと言われ、とありますが、私も、まあ同
じようなことも、やはり言われてまいりました。言われてまいりましたけれども、
その都度にです、やはり血の涙が出る思いをせぬこともなかった。けれども、私は、
その都度に神様の心がいよいよ分かった。その都度に深く広く分からせて頂いて、
「このような事を聞かせてまで、こういう問題を通してまで、神様がかくまでもし
て、このような事を分からせて下さるためであった」と、それが一つの感激ともな
るというような生き方なんです≫
 皆さん、初代という方は、そうだったでしょう。初代の信心の進め方は、分かり
やすく言うと、「この成り行きを通して、私が改まろう、この問題を私の信心の力
にしよう」ということではありませんか。
 今、合楽に、一つの大きな成り行きが起こりました。それは、ある教会のホーム
ページの掲示板に、内の若い子がいたずら書きをしてるわけです。私は、一昨年か
ら、合楽の体質の中に排他的絶対性があり、これを壊していかなければ小さな合楽
教会で終わってしまう、という成り行きを頂いておりました。ですから、その時、
ドキッとするようなものを感じました。自分の信心をよくよく省みます時、そうい
うものがあったんですね。
 十年ほど前、明治学院大学の宗教社会学の女の先生が、合楽の信心を研究された
レポートの中で、「合楽教会はセクト的教会だ」と評価しておられました。「自派
の主張を固執して、他をかえりみない態度・傾向」をセクト主義と言うそうですが、
当時の私は、聞く耳を持ちませんでした。そして私の中で、合楽理念の実験実証を
するなら間違いないというものが、いよいよ確立していく中で、セクト的になった
り、排他的になったり、他を非難したり、それこそ釈迦もキリストも説き得ないと
いう表現になっていました。ですから私の中にあるそういうものが若い人達に浸透
して、合楽が一番だ、内の若先生が一番、というようなものがあるわけです。です
から、私自身、こういう体質は、この際、徹底して改まらせて頂きたい。他を非難
するとか、誹謗するとか、悪口を言うとか、軽視するとか、このようなことは、本
当に改まっていかなければなりません。
 御理解第3節のもとになる御神伝に、「天地金乃神と申すことは、天地の間にお
っておかげを知らず、神仏の宮寺社、氏子の屋敷家宅建て、みな金神の地所、その
わけ知らず、方角日柄ばかり見て無礼いたし」(教典P107)とあります。これは、
ただ日柄方位だけのことではないですよ。初代はそれを、「人間の思い違い、考え
違い」と教えて下さいました。それを私はもっと突っ込んで、「この天地の間に起
こる事、それは全て天地金乃神様のお働き、差し向けだ」と思うのです。
 「天地の大恩」「神のおかげ」と言いながら、私達は自分の都合のいいことだけ
を、おかげと言ってきたのではありませんか。教祖様は「天地の間に起こる事は、
あれもこれも、神様のお働きの中で起こる事なのだ」ということを、明らかになさ
った方ですよ。ですから教祖様は、「人が盗人じゃと言うても、乞食じゃと言うて
も、腹を立ててはならぬ。盗人をしておらねばよし。乞食じゃと言うても、もらい
に行かねば乞食ではなし。神がよく見ておる。しっかり信心の帯をせよ」というよ
うに、一切を自分の肥やしとして信心を進められたのです。
 そういう意味で、百日心行の期間中に、この成り行きを通して、大きなメッセー
ジを頂き、「どうぞ神心で人に接しさせて下さい」「神心をもって人に語らせて下
さい」というのが、百日心行の私のテーマです。これは皆さんも、神様が今あなた
に、「さあ、ここを改まれ」と言われるなら、お互い本気で改まらなくてはなりま
せん。「ここも傷があるぞ、ここもまだ不良なところがあるぞ」と神様が教えて下
さっているのですから、お互い本気で改まり、合楽理念を商品化していかなければ
なりません。そこから、ニュー合楽がまた生まれそうな感じがいたします。どうぞ。


平成12年8月1日 朝の御理解(親先生)


御理解第9節
 天地金乃神は宗旨嫌いをせぬ。信心は心を狭う持ってはならぬ。心を広う持って
  おれ。世界を広う考えておれ。世界はわが心にあるぞ。


釈迦もキリストも天地金乃神さまの氏子であることがわかってみれば、心を広うも
ち『世界はわが心にあり』の気概を持って信心の稽古をさせてもらう心の姿勢が必
要であります。
其の願いの第一は「神願成就」であります。
天地金乃神さまの願いが地上に成ることです。私共の身上にかけられる神の願いが
成就することをもって、神の願いとされるのです。
ここにはじめて神も助かり氏子も立ちゆくおかげの顕現とはなるのです。
                           (昭44・7・26)


 教祖様の信心の有り様というものが分かれば分かるほど、今日のこの御理解にあ
る通りですね。これは、ただ宗旨嫌いをしないというだけのことじゃなくて、もっ
と合楽的に言えば、成り行きの好き嫌いをしないということですね。教祖様の場合、
実際にそうですから。この成り行きは頂くけれども、その成り行きは頂けません、
ということをなさらない方です。そして、ここのところがお互いの中で、どうなっ
てるんだろうかと思うんですけど、成り行きをぐうぐうやって頂くだけでは、本当
に成り行きを尊ぶということにはならないと思うんですね。もちろん、段階として
はそれでいいんでしょうけれども、本当に成り行きを頂くというならば、この成り
行きで、本気でお互いが改まっていかなきゃ嘘でしょう。
 教祖様は、事ある度に信心を進化させるというか、改まっていかれた方だと思う
んです。それが端的に表れておりますのが、明治4年です。教典のP94のbSを
見てください。「四月六日、西六先生夫婦まいり、不評の話いたし。此方にはなん
にも知らんと申し候。出社中組み、押しかけ(強盗)に行ったと申し、話し」と。
これは大変なことなんですね。当時、余りにも急激な改革をいたしましたので、不
満が噴出しまして、いろんな反乱が起こるんですね。ですから、この盗賊というの
は、もう極刑だそうですね。そういう訳で、教祖様にとって、これは大変深刻な問
題です。そして、そういう事件があった後、どう改まっていかれるかというと、そ
れが、「運勢のこと、普請、作事、方角のこと、宅がえ、縁談のこと、理解でよし」
(bV)に繋がるわけです。
 このお知らせによって、教祖のご信心はどーんと変革されます。それまでの教祖
広前は、拝み屋さん的で、お伺い信心、お願い信心ばっかりなんですね。これでは
やはり、そういう世の不評を浴びても仕方がないと、教祖様は、問題がある度に改
まっていかれます。次に、P99のbP8を見てください。これは、斎藤重右衛門
師が布教差し止めに遭い、「それなら自害して死のう」と、遺言書まで書かれたわ
けです。これも、本当に容易ならない問題です。その時教祖が、どういうことを思
われ、どこをどう改まっていかれたかです。次のbP9を見て下さい。「一つ、天
地乃神の道を教える生神金光大神社立てぬき、信者氏子に申しつけ。金光大神社願
い、一心に。拝むと言うな、願い届けいたしてあげましょうと申してよし。頼む氏
子の心で頼めいと申して聞かせい、わが心におかげはあり」と。これが、その翌日
のお知らせです。これは『天地書附』の原形ですよね。そういう拝み信心では、こ
ういう取り潰しに遭っても仕方がない。もっと金光教が垢抜けしていかなければ、
いや、私の信心が垢抜けしていかなきゃいけない、というような決意が、翌日の話
です。そして、いよいよ明治6年になるわけです。教祖の広前も布教してはならん
ということになります。ちょっと見てみましょう。P102からP103までです
ね。
 この神前撤去という問題は、教祖にとって最大の難関だったと思います。教祖様
も、もうがっくりしておられます。考えてもみて下さい。もう晩年も晩年です。そ
の上長男の正神様は、落ちぶれて借金の無心に見えます。さあこれからどうしてい
くのか。そして約1カ月の間、神様から何の応答もないんですね。どんなに不安だ
ったでしょうか。それから「天地書附」が下がるわけです。確かに教祖様という方
は、この成り行き、その成り行きで、一段一段信心を進めた方だということを、分
かって頂きたいのです。
 今合楽にも、大変な問題を神様が投げ掛けて下さっています。正直言って、私の
信心の内容の中に、自分の信心を正当化するために、他を批判したり、誹謗したり
する結果になってしまった面がありました。これは神様につばをかけるようなもの
だと思いました。私は、この度の成り行きの中で、今日の御理解そのままですけれ
ども、どうでもこの際、他を非難する、誹謗する、悪口を言う、というようなこと
は、もう一切、改まっていきたいと決意させて頂いております。
 昨日の夏期信行の最後の御理解がそうでした。「人の悪いことを言うな」と。皆
さん、人の悪いことを言うのは、神様の悪口を言うのと同じですよ。確かに神様が
必要と思われたからこそ、釈迦もキリストも、この人もあの人も、この成り行きも
下さってるわけです。ですから問題は、お互いが、その成り行きでどう改まってい
くかです。そういう意味で、本当に性根を入れて、今度のこの成り行きから、合楽
の体質の中で改まっていかなきゃならないところを、一つ本気で改まっていきたい。
教祖様のご信心がそうなのですから。教祖様は事ある度に改まっていかれ、一段一
段信心を進めたお方ですからね。 どうぞ。





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