金 光 教 合 楽 教 会 の 御 理 解

平成12年4月16日 天地金乃神大祭御挨拶(親先生)


 せっかく、お互いが信心を頂くのですから、ただ私自身が、その場凌ぎに助かる、
そういう助かり方ではなくて、子々孫々に残るような信心、子々孫々に残るような
助かり方をしたい、と思います。
 今、表の掲示板に「お父さん、本気で生きてね… 子々孫々にまで残るような…」
と出させて頂いております。これは、亀有教会の和光というご信者さんの娘の、直
子さんの言葉です。和光さんは、6年前に直子さんの脳腫瘍で、亀有にご縁を頂き
ました。おかげを頂きまして、全快させて頂いておりましたが、半年前に再発いた
しました。その時に、お父さんに言った言葉が、「お父さん、これから本当の信心
をしてよね。子々孫々に残るような信心をしてよね」なんです。直子さんは、21
歳でしたが、これが遺言になりました。私も感銘を受けましたので、それをああい
う言葉にさせて頂きました。先日、ご両親が御礼参拝に見えたのですが、「半年間、
神様をそこに見るようでございました」と言われました。
 そういう意味合いで、子々孫々に残る信心、そういう助かり方ということになり
ました時に、どうでしょうか、本当に天地の大恩が分からねばならないのではない
でしょうか。教祖様は「神の大恩を知れば、一年まさり代まさりのおかげを受ける
ことができる」とおっしゃっています。親の信心が、2代、3代になぜ伝わらなか
ったのか。それは、天地の大恩を分からなかったからです。私達も、天地の大恩と
いうことは、今までずいぶん聞いてまいりました。それこそ金光教の信心と言えば、
天地の大恩を説くと言われてきました。私達は、この天地の中に、生かされて生き
ておる、この空気一つ、お水一つ取りましても、お米一粒でも、天地のそれこそ総
がかりの働きの中で、このお恵みがあっておる、そういう中に生かされておる、と
いうように説かれてきました。それは、間違いないのですが、要は、それをどう実
感できるかです。先程、末永先生が、その経緯をお話しして下さいましたが、今、
合楽教会に神様が願われることは、どうでも、この天地の大恩を分かってくれよ、
この天地の大恩を現してくれよということでございます。
 今日は皆さん、神様の願いのいよいよのところを聞いて頂きたい。明日から大奥
様が入院なさることになりました。それと言いますのも、ひと月ぐらい前から、食
事をなさる度に、一口、口に入れては、押し込むようにして食事をなさっていまし
た。大変辛抱強い方ですから、なかなか人におっしゃいません。もうずいぶん前か
らなんだそうです。それで、いよいよ戻される。余りにも異常ですから、病院へ検
査に行きましたら、食道癌だそうです。総代の石井信司郎さんがお知らせに「6と
9は同質同根」ということを頂いておるんですが、自分の思い通りになりました、
これだけを神様のご恩、神様のおかげでは済まされないでしょう。自分の願い通り
にならぬこととても、神様の働きと分かって初めて、天地の大恩が分かるというこ
とじゃございませんか。例えば癌でも、御癌じゃございませんか。
 それこそ重ね重ねのメッセージを、神様から頂いております。これまで、合楽に
は、四代金光様の御直筆の『天地の大恩』がありましたが、この度、三代金光様御
直筆の『天地の大恩』がお供えになりました。また、今度ブラジルに布教させて頂
きました宮崎先生から、総子の結婚に際してのお祝いのメッセージの中に、初代が、
「総子さん、あんたにも遺言しとこうか」と言って話されたお言葉を、書いてきて
くれていました。それが、「大坪家も池尻家も広大なおかげを頂いておるよ。だか
ら、天地の大恩を忘れてはならん」というお言葉だったのです。これはただ事では
ないと思います。私は、昨日、前夜祭を頂きながら、天地の大恩を分かってもらう、
それを現すことが合楽の願いであり、合楽教会にかけられた神様の悲願であり、も
うここに決めよう、と思いました。そういう思いで、私がここに出ました時に、総
代の英治君が、「親先生、『天地の大恩』を正面にかけましたから、見て下さい」
と言うわけです。そして、その道中、英治君が、「あの上の『神愛』も三代金光様
のお書き下げですね」と言うんです。そして、私は、それを拝ませて頂いて、この
『一切神愛』が分かって初めて、『天地の大恩』が成就するということになりませ
んでしょうか。どうでしょうか。
 「天地の大恩」を分かり、現すということは、本当を言うなら、金光教に神様が
かけられた願いだと思います。教祖様が拝まれた神様というのは、金神様です。悪
神邪神と言われた金神様を拝まれたのですから。その神様が天地金乃神様であった
ということを明らかにされたのが、教祖金光大神様です。ですから私は、金光教と
いうのは、難儀の正体を見極めた宗教だ、と思います。あの『覚帳』『覚書』を見
て下さい。ある意味で不成就物語だと思うのです。あの中から、教祖様が私達に何
を分からせようとして下さったのか。それは、「あれもおかげ、これもおかげ、一
切が神様のご都合の中にある」ということだと思います。明治6年の件にあります
ように、「何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ」という
ことですよ。
 御理解52節に、「信心する者は驚いてはならぬ」とありますが、なぜ驚かんで
済むのか。それは、お互いが成り行きの中で、身近に神様を感じ、神様の一分一厘
間違いのない働きの中にあると、確信できるからです。今度の大奥様のご入院は、
私のためのご入院と頂いて、あの大奥様のご修行のおかげで、こういう信心を分か
らせて頂きました、こういう力を受けられました、というようなことにならせて頂
きたい、と思います。そして、合楽総がかりで、どうでもこの天地の大恩を明らか
にしたい、現していきたい、と思います。 どうぞ。


平成12年4月1日 勧学祭御挨拶(親先生)


 おめでとうございます。
 今日は、月例祭に併せまして、初代の生誕祭並びに勧学祭ということですが、そ
れに乗せて頂くように、長女総子が、この度結婚のおかげを頂きまして、その報告
をさせて頂きます。
 今、パソコンで、私の成り行き日記を付けているのですが、今朝、「初代の生誕
祭」と打ち込ませて頂きましたら、普通の「生誕」というのは出てこなくて、「聖
誕祭」というのが出るんです。これは、何だろうかと思って、広辞苑で調べました
ら、キリストの降誕祭(クリスマス)のことでした。ですから、これは、イエス・
キリストだけじゃないと思わせて頂いたんです。本当に、私達にとりましては、大
坪総一郎という方は、まさに聖の人でした。そういう意味で、私は、有り難い方を
父に持ち、師匠に持たせて頂いたものだと、いつも実感させて頂くわけでございま
す。
 そういうことを思いながら、今朝御理解を頂きましたら、御理解52節でした。
思えば思うほど、一切神愛という世界を明らかにするために、大坪総一郎という方
を神様が差し向けて下さったとしか思いようがないのです。そういう意味で、一言
だけ初代のメッセージと思うて、皆さんに聞いて頂きたいと思います。
 この度、「天地の大恩」と書かれた、三代金光様のお書き下げの、お供えがあり
ました。金光家の家紋入りの下地に、金光摂胤とフルネームで署名なさっている、
大変念の入ったお書き下げでございます。それが、長女の総子の結婚式から帰って
来た翌々日に、お供えされたのです。そうしましたら、お祝いに駆けつけてくれま
した、ビリグイ教会の末永先生が、「親先生、恐れ入ってしまいますね」と言うの
です。私の上に、豊美という、今、坂出教会に行ってます長女が、古川家とご縁が
出来ました時に、四代金光様の「天地の大恩」というお書き下げが、合楽に来たん
です。それは今、客殿にお祭りしてあります。末永先生から「不思議な縁ですね」
と言われて、私は改めて、これは、神様の願いだ、と。三代金光様の願いが合楽に
かけられておる、と思いました。
 「天地の大恩」ということは、今まで、例えば一すくいの水でも、一粒のお米で
も、天地の神様のお恵みだから、というふうに説かれてきました。ところが、どう
でしょうか。例えば光と暗闇とがあるなら、この暗闇の部分、自分の不都合な部分
は、神様のおかげとは、誰も言わなかったんです。悪魔のせいだと言ったり、霊が
祟っとると言ったりします。
 これは、総代の石井信司郎さんが頂いたお知らせですが、それを聞きました時に、
すごい内容だなあ、と思いました。今、信司郎さんが、朝4時の御祈念に命を懸け
てます。ですから、いろんなお知らせを頂かれるのですが、先日お夢で、信司郎さ
んに信心の奥義を教えると言ってですね、「6と9は同質同根」と頂いてるんです。
6というのは、お徳と言いますね。9のお知らせは、難儀です。それが、同質同根
というわけです。天地金乃神様は、皆さんが有り難いと言うけれども、七墓を築か
れる金神様は、恐いと言ったわけです。ところが、教祖金光大神様によって、この
金神様も天地金乃神様も同じ方だ、と。同質同根というのは、そういうことです。
私は、そこが分かって初めて、天地の大恩が分かるということになるのじゃないか、
と思います。
 この度、私は、総子が縁付きました早羽家、広島の大竹教会にやらせて頂きまし
た。こちらの教会長先生ご夫婦、また総子の婿もそうですが、本当に実意丁寧で、
行き届いておられるのです。そして、改めて思いました。例えば私の姉の豊美に古
川威智雄先生ですよ。愛子に勝美さんですよ。直子に佐田恒行先生。いうなら大坪
家に全くないもの、欠けておるものを持っておられるのです。実意丁寧神信心と申
しますけれど、確かに、合楽では、よちよちながら神信心のお育てを頂きました。
けれども、この実意丁寧が全くないのです。それとこれとが揃わなければ、天地の
大恩に報いるということにはなりません。
 昨年ブラジルに布教しました宮崎先生から、総子に、祝辞が届きました。その中
に、平成5年ですから、初代が大変お具合が悪くなられた時期に、これは、私の遺
言と思うて聞いてくれと言って、お話をなさったことがございます。その時期に、
総子が、たまたま初代の看病に行ってるんです。その時初代が、「総子さん、あん
たにも遺言しとこう」と言って話されたことを、宮崎先生がテープに取っていて、
その中に、「大坪家も池尻家も、大変、おかげを頂いておる。それを忘れてはなら
ん。天地の大恩を忘れてはならん」という一節が入ってるんです。
 私は、重ね重ねのお働きに、本当に驚いてしまいました。お互い、どうでしょう
か。今のおかげが、当たり前のようになっていませんでしょうか。むしろ、おかげ
が足らん、と思うようなことはないでしょうか。神の大恩を知らぬから、互い違い
になる、と言われますが、本当に神の大恩を大恩として、私達が、金光教の、道の
道たるところをどうでも現していきたい、と願います。それこそが、この天地の大
恩に報いられる信心を現すということが、初代のメッセージ、または三代金光様の
メッセージだ、と今日は頂きました。
 今日、ある方が、今朝の御理解を頂いて、「初代の大恩に報いるような今日一日
にならせて下さい」というお届けをなさいました。本当に、神の大恩、教祖様の大
恩、初代の大恩に報いられる信心を頂きたい。そして、私に欠けておるものを身に
付けていきたい、と思わせて頂きました、今日のお祭りでございました。 どうぞ。





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