金 光 教 合 楽 教 会 の 御 理 解

平成11年6月27日 和賀心デー御理解(親先生)


御理解第37節
  生きておる間は修行中じゃ。ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読
  むようなものであろうぞ。


「この世はあの世の為にあるのだから」の一言につきます。
難儀の元ハ神と氏子の間にはられた光明電線のようなものである。
有難く修行として受けてゆけば、光ともなり徳ともなるのです。
                                                     (昭56・7・28)


 今、こうやって教祖様の生きられ方というものを、いろいろ分からせて頂きます
時に、肝心なのは、教祖様という方の助かり方ですね。
  「知ってるつもり」というテレビ番組があっていますが、そのビデオに収めたも
のを今、ラウンジに出していると思いますので、みなさんも、一つ機会がありまし
たら、見て下さい。いい意味合いでも悪い意味合いでも、例えば、ナポレオンとか
ヒットラーとか、歴史的に名を残した人物をあつかっている、素晴らしい構成の番
組です。今、研修で、教祖様のお勉強をさせて頂いていますが、ちょうど明治維新
にかかりました。その研修には、若い子供達も入ってますので、この明治維新とい
うのは、どういう時代だったのかということを勉強して頂こうと思って、勝海舟と
か、坂本竜馬とか、西郷隆盛さんとかの番組を見せて頂きました。そして、それを
見れば見るほど、教祖様のご一生ですね、生きられた時代というのは、全く激動の
時代なんです。徳川時代が260年続きますが、その歴史が壊れて、新たな明治と
いう御代になるわけですけれども、これは、大変な変わり方です。日本の歴史の中
で、これほど激変した時代はないのではないでしょうか。そして、あの明治六年、
いわゆる神前撤去を余儀なくされる時代の前後というのは、明治四年位から、世の
中が改革されていくのが実際に動く時代なんです。
 そして私が一、二週間位前に、あの「際物」ということを頂いて、その際物とい
うのは、その時代、その時には価値があるけれども、その時代が過ぎたら無用な物
とか、無価値なものになるというような意味なんですが、改めて思うてみると、本
当にみんなが際物なんです。例えばナポレオンなんかでも、征服者として一時代を
築くでしょうが、ほんのわずかな時間です。徳川家康は長いと言っても、宇宙的時
間からいうなら、ほんのわずかでしょう。そうして見たときに、確かに素晴らしい
人物であったり、特別な才能があったり、特別に運がよかったりというようなこと
で、脚光を浴びたりしますけれども、全部が際物なんです。そうして見た時に、改
めて、教祖様のこの生きられ方ですね。いうなら、「はやることなければ終わりも
なし。天地日月の心になること肝要なり」という、こういう生き方、こういう助か
り方があるということです。
 私は今朝、御結界につかせて頂いた時に、今日初めてお参りになられた方のお取
次ぎをさせていただきました。そうしましたら、神様から、「地道」ということを
頂いたんです。本当に思うてみれば見るほど、教祖様の生き方というのは、真に地
道な生き方なんです。そこで、その方にその「地道」というお書き下げをさせて頂
きましたら、その後ろに宮崎さんがお届けを待っておられました。そうしましたら、
「先生、今のお届け聞かせて頂いてびっくりしました」と言われるのです。今朝の
テレビ番組で、「これからは、もう地道な企業でなければ生き残れない時代になる
だろう」というようなのがあったそうですね。本当にそう思いますよ、みなさん。
だから、例えば繁盛といったら、何かあれよあれよで繁盛することを、本当の繁盛
のように思いますけれども、それは、絶対に間違いです。地道な繁盛、これは、地
についた繁盛ということになりますが、それには、地についた生き方が分からなけ
ればいけないわけになります。その地についた生き方というのが、私は、その時そ
の時の成り行きの階段を登っていく生き方だと確信します。それは、時代に流され
ず、流行に流されない生き方です。
 昨日、水行会の合楽理念講座をさせて頂きました。青壮年の会ですから、その中
で、私は、次のような質問をしました。「どうでしょうか、みなさん。例えば数億
円の財産があったがいいか、それとも、日々の生活の中に神様を身近に感じれる方
がいいか。神様が、例えばどっちかをやろうと言われるなら、みなさんなら、どっ
ちをとりますか」と。そういう意味合いで、教祖様は、日々の生活の中に神様を身
近に感じておられますよ。これは、教祖様の信心をたどっていきますと分かります
ように、教祖様は、本当に問題の連続ですよね。けれども、教祖様は、そういう難
儀の連続の中に、間違いなく、道を歩いておろうが、畑で肥えをかけておろうが、
神の中を分けて通りおるような実感を頂いておられます。例えば、この今日のご理
解でもそうですけれども、「生きておる間は修行中じゃ。ちょうど、学者が年をと
っても眼鏡をかけて本を読むようなものであろうぞ」と、もうドキドキワクワクす
る思いで、問題を頂いておられるのです。
  私は、合楽理念講座をさせて頂く時には、必ず一番最初に、「助かりとは」とい
うことを問題に出すのです。「みなさんがどういう助かり方をしたいと願うておら
れるのか。何を持ってお互いが本当の助かりとしておるのだろうか」というところ
を、これはみなさんが、一つ答えを出してもらわなければならないことじゃないで
しょうか。そういう意味で、教祖様を知るということは、教祖様の助かり方を知る
ということですね。どうぞ。



平成11年6月20日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第52節  信心する者は驚いてはならぬ。これから後、どのような大きな事ができてきても、 少しも驚くことはならぬぞ。 真っ暗闇だから不安になる 信心の光がさす時安心が頂ける 神の偉大な働きを実感する時 そこに信心の喜びが湧いてくる その喜びが不可能を可能にする             (昭57・7・12)  先日、テレビで、2000年問題を取り上げていました。私は、あまり詳しくあ りませんけれども、今の世の中がすべて、コンピューターで操作されているのです が、来年の1月1日を迎える時に、コンピューターの誤作動が起きるだろうと言わ れているのです。その誤作動が起きて、何もかもがストップするだろうというので、 山の中に家を買って、自給自足できれるようにしている人たちがどんどん増えたり、 または、食料や衣料を買いこんだり、というような現象が起きているのだそうです。  今、合楽での研修が、たまたま、明治維新の件です。江戸幕府が、鎖国政策を取 って、300年の惰眠をむさぼります。そして、ぺりーさんのあの黒船来航という のがあって、開国を迫るわけですよ。そして、いろんなことが重なって、開国しな ければならないような状況になって、明治維新となり、徳川300年の歴史が崩壊 して、明治の世になるわけですね。  教祖様を知る、教祖様の御信心を知るためには、やっぱり、ある程度、その時代 背景も分からなければ、教祖様の心の動きというのが、分からないだろうと思いま す。明治維新の歴史をみんなと一緒に勉強しながら、「ほう、これは大変なことだ なあ」と思ったのです。今日の御理解ではないですけれども、これは、当時の人々 にとって、驚くべきことですよ。そして、明治維新になって、日本が近代化してい くというようなことが、実際動き出すのが、明治四年位からなんですね。廃藩置県 とか、学校教育を徹底するとか、段々制度化されて、それが実施されだします。そ ういう状況の中で、ようやく教祖様の下にもそういう動きの気配があり、それを予 言されたかのような御理解があるわけです。93ページの15章の1と2を読んで ください。そこで、今までもいろんなことがあったし、これからも、いろんな災難 が起こってくるけれども、「心配するな」と神様がおっしゃるわけです。そして、 今申します時代の流れが、ドント押し寄せてきます。ですから、この明治四年から 六年にかけて、こういう御理解がたくさん出てくるのです。次に94ページの10 と99ページの20を見てください。ここで、「世の中がどんどん変わっていくぞ。 また、どんなふうに世の中が変わって行くか分からないぞ」と言っておられます。 次に、102ページですが、これは、例の明治六年の神前撤去のくだりです。この 頃に、神道国教化政策というものが打ち出され、金光教も、淫祠邪教とみなされて、 布教差し止めになります。次に、109ページの29では、教祖様が、「見よって ごらん。金毘羅さんのように、人がどんどん集まってくるようになるぞ。時代は変 わるぞ」というようなことを言っておられます。そして、105ページの14が、 「旧暦四月四日お知らせ。何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということも あるぞ。」ということですね。 これは、みなさん、何を意味するのでしょうか。例えば、世の中、時代、または 価値観は、どんどん変わっていきますよ。ところが、絶対変わらないものがある。 それが、金光教の助かり方です。どの時代になろうとも、しかも子供から孫へずっ と伝えられる生き方がある。それを教祖様が、この激動の明治6年に明らかにして くださったのです。その時代背景が分かれば分かるほど、この天地書附には、そう いう意味もあったのか、と気付かせていただきました。このように、時代がどんど ん変わって行く、その最中に、この天地書附を頂かれます。「生神金光大神 天地 金乃神 一心に願え おかげは和賀心にあり 今月今日でたのめい」という普遍的 助かりを残されたわけです。時代がどんなに変わろうが、百年後であろうが、千年 後であろうが、この和賀心による助かり方というものは変わらないよ、ということ です。しかもその和賀心になる手立てというのは、成り行きを尊ぶ以外にはありま せん。そこまで、今日、明らかになっています。  十三日の朝、私は、目を覚ます時に、「扇子の要」ということを頂きました。そ れから、二、三日ずっと私の心の中に、「際物」と浮かんでくるのです。こういう 時は、神様が何かをメッセージして下さっている時ですから、「どういうことだろ うか」と思わなければいけません。「際物」というのは、「時を失えば無用なもの、 無価値なものになる」という意味なんだそうです。その時にお話させていただきま したが、運が良くて有名になったり、才覚とか、努力とか、または人格が素晴らし いとかで出世しても、それは、際物なんです。その時だけですよ。私は、教祖様が おっしゃる、天地と共に、流行ることもなければ終わりもなしという繁盛の仕方、 生き方が、今こそ明らかにされなければならないと思います。そういう助かり方と いうものを、教祖金光大神様は、こういう形で、こういう時代の中に明らかにして 下さったのかなと、改めて思いました。「信心するものは驚いてはならぬ。これか ら後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはならぬぞ」というよ うな信心を、お互い確立させて頂きたいですね。どうぞ。
平成11年6月13日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第22節  天地金乃神といえば、天地一目に見ておるぞ。神は平等におかげを授けるが、受 け物が悪ければおかげが漏るぞ。神の徳を十分に受けようと思えば、ままよとい う心を出さねばおかげは受けられぬ。ままよとは死んでもままよのことぞ。 『ままよとは死んでもままよの事ぞ』と教えられますが、なかなかに出来ません。 然し、神さまの働きを一分一厘まちがいなく感じる日日であれバ、それがいつでも 「ままよ」の心が頂けます。 いわゆる天地のリズムに乗っての生き方です。 神さまから「晃(あきら)」という字をもってお示し下さいました。字引を見ます と日と光の旋律とありました。 日とは神さまのこと、光とは私どもの信心による心の光のことです。                            (昭56・7・13)  今朝から、「扇子の要」ということを頂いて、目を覚ましました。扇子というの は、末広ということですけれども、私は、どこにその要が置かれておるかなあと思 うてみたのです。皆さんは、どうでしょうか。  「子孫繁盛家繁盛のおかげを頂きたい」と。これは、誰でもが願うことでしょう。 けれども、問題は、その要が何であるかということです。皆さんも考えてみて下さ い。今までの人類の歴史の中で、どういうことで、繁盛してきたのでしょうか。ま た、宗教でいえば、どういうことで道が開けてきたのでしょうか。いや、本当に、 私はびっくりしたのです。これをずうっと思うてみた時に、四代金光様が、「たよ りなきものをたよりにする故の この頼りなき心なるかも」とお歌に詠んでおられ ますが、本当に、頼りないものを要にしているのです。一番多いのは、運じゃない でしょうか。または、ちょっと優秀な人で、たとえば、これは宗教関係に多いので すが、素晴らしい人、人物に人が集まるとか、物が集まるとかということはありま すよね。それとか、スポーツ選手なんかは能力でしょう。今言うように、才覚もあ りましょうし、アイデアもありましょうし、努力もありましょう。そういうことを 要にして、それで繁盛してきたのです。どうでしょうか。それで本当に、子孫繁盛 家繁盛に繋がるでしょうか。そういう意味で、何を要にしたら、子孫繁盛家繁盛が 頂けるのかということを、自分自身で一つ、答を出していかなければいけないと、 私は思うのです。  それともう一つは、何かあれよあれよで広がることが繁盛のように、錯覚してい るところがありますね。ところが教祖様は、「ものは、細うても長う続かねば繁盛 でないぞ。細い道でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ」とおっしゃってお られます。 例えば、明治四十五年には、金光教のご信者の数は、百十万もあったそうです。 ですから、その当時の御大祭というのは、大変な勢いの御祭りだったでしょうね。 さあ、それがどうなったのでしょうか。またその当時、三代金光様は、どういう御 家に住まわれていたか知ってますか。下が八畳、二階が六畳、しかも畳を敷いてな い。周囲はベニヤ板、トタン屋根ですよ。 教祖様が遺された道は、子孫繁盛家繁盛の道ですよ、皆さん。ところが、それが そうなっていない。何故なんでしょうか。本当を言えば、子孫繁盛家繁盛の道とい うのは、和賀心の道です。今日の御理解で言いますと、「受け物が悪ければおかげ がもるぞ」と言われる、その受け物、完璧な受け物、神様の心を心とした受け物、 それが和賀心なんです。しかも、神様の心を心とする成り行きを尊んでいきますと、 この和賀心が育つようになっているのです。ですから、私どもは、この和賀心によ る、子孫繁盛家繁盛のおかげを実証する以外にありません。ですから合楽で、皆さ んこうやって信心しておられて、果たして、成り行きを要にして、和賀心の道を歩 いているか、確認して貰いたいわけです。そして、天地と共に繁盛していくという ことは、細うても長う続くような繁盛の仕方です。だから、あれよあれよという繁 盛の仕方は、どこかが狂っている、何か不自然なことをしよると思わなければいけ ませんよ。  そして問題は、ここで、「神様の働きを一分一厘間違いなく感じる日々であれば、 それがいつでもままよの心が頂けます」と言われるように、天地のリズムに乗った 生き方なんです。今度の御本部参拝でも、ずうっと成り行きの中で動かせて頂いて、 本当に置いた物を取るような働きばかりでした。それを教祖様は、「天地金乃神は 天地一目に見ておるぞ」とおっしゃっているのです。間違いなく子孫繁盛家繁盛の 道を歩いておるのだという手応えは、この、一分一厘間違いのない神様の働きを感 じていくことです。ですから、教祖様ではないけれども、「先を楽しめ」とか、 「三年先を楽しめ」というようなことになるのです。  お互い、頼りなき物を頼りにしていると、先が心配です。本当に先が楽しめるな らば、間違いなく、成り行きを要にしておるのです。一分一厘間違いのない成り行 きというものを、要にしなければならないということですね。どうぞ。
平成11年6月7日 朝の御理解(親先生) 御理解第1節 今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。 病気や難儀のつづく時、今こそ天地の開ける音を聞くときであるが、信心にならぬ から眼が覚めぬ。眼を覚ますということは大真理の喝破である。本当の本当をわか ることである。教えたから、習うたからわかるものではない。一心の真心、不乱の 信心が必要である。湯川安太郎先生は、神様がご主人、氏子は番頭。安武松太郎先 生は、一切が神様の御物。私は、一切が神様の御事柄と悟った。それぞれ天地の開 ける音を聞いて眼を覚ましたのである。そこから限りないおかげの道が開ける。 (昭44・7・18)  今日は、面白い体験をしました。いつもは教典を開く時、右手で開かせて頂くの ですが、今日はどういうわけか、左手が勝手に動くのです。そうしましたら、「今、 天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ」と頂いたのです。これが私達の信心の原点 になると思いますね。  目覚めないままに信心をどれだけしても、積み重ねができません。たとえば初代 の信心の目覚めは、ご存知ですよね。いわゆる終戦。それこそ営々として築き上げ てきた、その地位も財産も、大きな時流の前に、裸同然で引き揚げてみえます時に、 「はあ、今までの人力の生き方、おかげ信心とは、こんなにももろいものか」と悟 られます。そこで初代が、「本当の信心とは、一体何だろう。本気で信心してみた い」ということになられたわけです。また、教祖様の場合は、あの七墓を築かれて、 自らが九死に一生という大病に罹られて、初めて神様のおかげを受けられる。そこ から教祖様が、「これは怖い神様、祟り障りの神ではない。向かい方一つでは、お かげを下さる神様だ」と悟られ、そこから、本気で信心してみようということにな られるわけです。  これは合楽の方々でもそうですが、目覚めた人と、目覚めてない人とではどこが 違うかといいますと、目覚めてからはしょうことなしではないのです。目覚めない としょうことなしなのです。本当に目覚めてするのと、しょうことなしでするのと では、全然違いますよ。ですから問題は、いつこの目覚めの時を頂くかということ でしょう。そして、今まさに神様が、「目を覚ましなさい」と、優しく、または厳 しく、働いておられるものを感じます。ですから今こそ、一遍は、死ななければな らない時ではないでしょうか。  私の信心の目覚めは、間違いなく、初代のお手替わりをさせて頂いてからと思い ます。本当に死ぬると、自分の裸が分かります。何にも分かっていない、と。こう やって教師の資格も取って、ある程度の金光教の知識も持っている。それが何にも なりません。本当に愕然とします。けれどもここなんです。お互いが一遍目覚めた から、あれよあれよで信心が伸ぶかというと、そこが凡人なんですね。そこのとこ ろを初代が、和賀心学の第一巻で説いておられます。目覚めた人が、目覚めて、す ぐまた目がつぶれる、どこに違いがあるのかと。それは育たないからだと。「育っ ていないから、『育つ喜び』または『育てる楽しみ』といったものがない。何のけ いこ事でも同じですけれども、そのけいこをさせてもらっておることが、だんだん 身についてくる。それが上達してくる。いわゆる育ってくる。だからやめられなく なるのですよ。そうならないのは、その育てるとか、育つとかという精進をしない からなんです」と。そうですよね。それではそのための精進は何かというと、「そ れは、『楽はせんぞ』という気持ちですね」と言われるのです。  基本はやっぱりこれですよ。けれどもお互い、生身の人間ですから、そんなに四 六時中「楽はしません」ということが、できることはないでしょう。だから私が、 この一年半、皆さん填まって下さいと言ってるわけです。そこに、確かに育ってま いります。育つ喜びが芽生えてくるわけです。そうなったらしめたものです。たと えば今の私の場合は、この成り行きの軌道を外しては走れないです。自分の勝手に 生きろったって、私は、もうこの成り行きの軌道からは降りられないです。ここま で、お互いが、育って頂きたいと思います。  そして大切なのは、本気で信心してみようと思うた時に、そこに道があるかない かです。合楽の場合はあるのです。初代が、教祖様のご信心の神髄を求められて、 目覚めた者がどこに向かって歩けばいいのか、どの道を歩けばいいのか、しかも、 凡人でも歩ける道を残してくださっているのです。私が今分かってもらいたいこと は、『お知らせ事覚帳』のご出現の意味なんですね。ここを広げて下さい。『お知 らせ事覚帳』の一番最後のページです。教祖様の御事跡を見て行く時に、本当に、 この最後の一行の重みが分かりますよ。そこに、「二十一日早々お知らせ。人民の ため、大願の氏子助けるため、身代わりに神がさする、金光大神ひれいのため」と あります。教祖様の数々の御修行が、何のためにあったのか。それは私達凡人が、 見やすく助かることのための身代わりのご修行です。  けれども、これはお互いが頭で理解するのではなくて、心で理解しなければいけ ません。そのためにも、一つお互いが目覚めなければなりません。今日は神ながら に、この御理解第一節を頂きました。目覚めた、それを育てるために、この一年半、 皆さん、一つ填まって下さい。そして、一つ神様から、「ああ、この氏子は安心」 と言うて頂けるところまで、お互いが育ちたいし、育たねばならないと思いますね。 どうぞ。
平成11年6月6日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第59節  習うたことを忘れて、もどしても、師匠がどれだけ得をしたということはない。 覚えておって出世をし、あの人のおかげでこれだけ出世したと言えば、それで師 匠も喜ぶ。おかげを落としては、神は喜ばぬ。おかげを受けてくれれば、神も喜 び、金光大神も喜び、氏子も喜びじゃ。 育つ働きと育てる働きが相まってゆく限り自他共に助かり、神も助かり氏子も立ち 行くおかげが開けてくるはずなのに、どの辺から間違うのか『神も喜び金光大神も 喜び氏子も喜びぢゃ』ということになっていない。 育てる者も育たねばならぬ。育てる者の深く反省せねばならぬところです。信者も おかげを受けることのみに終始せず、共に育たねばならぬ。 合楽で言う『五つの願い』が成就することは、神の願い、氏子の願いが成就するこ とになる。                    (昭52・7・11)  今度の天地金乃神様の御大祭を仕えさせて頂きます時に、その前夜祭に私が、 「明日はどうぞ、あなたの思いを伝えさせて下さい」というような思いで、玉串奉 奠をさせて頂きました。そうしましたら、それこそおうむ返しのようにして、「そ れならば、私の思いが分からねば」ということが、私の心の中に響いてきたわけで す。  信心というのは、結局、神様の思いが分かるということですね。それかというて、 二、三歳の子供に、親の心が分かろうはずがありませんように、神様にお手間をか けねばならない時代もございましょう。けれども、合楽は、椛目時代を含めますと、 来年で五十年だそうです。合楽に来て、三十数年です。そういう意味合いで、今、 本当に目覚めの時が来たのではないかと思います。 それでは、その神様の願いとは、一体何だろうかということになりました時に、 「這えば立て 立てば歩めの親心」ですよね。今日の御理解で言えば、「育つ働き と育てる働きが相まって自他共に助かっていく」ということです。ですから、神様 の思いというものは、育てずにはおかんという働きだ、と結論出来ると思います。 そこで、教祖様から、どういうことを習ったのでしょうか。いや、それがはっきり してないわけです。または、初代が私達に残して下さったのは、何なんだろうかと いうことになります。  今朝から、大変難儀なところを通っておられる方のお届けを聞かせて頂きました。 私は、それを聞かせて頂きながら、難儀の正体を見極めるということは、やっぱり 難しいですね。そこで、成り行きを成り行きと用いるという、成り行きの正体を見 極めるということなら、簡単に出来るのです。そうしていきよる内に、段々、難儀 の正体を見極めることができていくようになります。  おかげを頂きまして、ブラジルの団参の一行が、夕べ帰ってまいりました。皆さ んが異口同音に言うことは、「行ってみなければ分からん」というほどに、すごか ったということです。どうでしょうか、今度ブラジルに行かれて、どういうお土産 を持ってみえたでしょうか。それを、「末永先生達が、生き生きと合楽の御比礼を 現して下さる」という感激で留めたのでは、申し訳ないですよ。教祖様が、「日天 四のお照らしなさるところ、残らず金光大神でき」と言われる、その一役を末永先 生、または南米に布教して下さった先生達が担うて下さっているのですが、皆さん もその担い手です。たとえば、伊藤さんとか佐田さんなんか、本当に光っているで しょうが。こういう人達が、教祖様の心を心として、本当に金光大神を現すことに なるのです。  これは私がこの頃聞いたことですが、教祖様が亡くなられて、約三十年後の明治 四十五年には、金光教も百何十万の信者になってるのです。もうあれよあれよでし ょう。確かに比礼が輝くと言うけれども、その比礼は、教祖様が、「そんな私を輝 かせて貰ったら困る」というような内容ではなかったでしょうか。金光教にお参り したら、こんな霊験奇跡を頂ける、そんな教祖様ばっかりを輝かしたのではなかっ たでしょうか。だから、初代が、教祖様のご信心の神髄に触れてとおっしゃるわけ です。それを、今日の御理解で本当に感じるわけです。それは、「おかげは和賀心 にあり」でこれだけおかげを頂いております、こういう御比礼を頂いておりますと いう、輝かし方です。それをもっと具体的に、もっと分かりやすく、合楽理念では 説いてあるのです。ですから、まずは、この合楽理念を憶えてもらわなければなり ません。 そうでないと、難儀な問題に直面して、「さあ、それを有り難く頂きなさいとか、 それをままよの心で頂きなさい」と言うても、それ自体を頂けないだろうと思いま すよ。その前に、成り行きの正体を見極める、または成り行きを成り行きと用いる、 そこに、成り行きの比礼が見え出したというような、いわゆる成り行きの比礼が輝 き出すわけです。そうしたら、どんな難儀な問題でも、もっと皆さんがありがたく 頂けるようになるだろうなあと思わせて頂きます。  今度、ブラジルには幹三郎達夫婦がおかげを頂きまして、一番のおかげを頂いた 頭だと思うのですね。せっかく皆さんが、これだけの長い日程、またはお金を使っ てのブラジル行きでしたから、お互いが、末永先生や他の先生達だけに感激せずに、 「金光大神を現す担い手は、私達なんだ。その担い手の一人にもならせて頂こう」 というようなことに繋がってくれば、有り難いと思いますね。どうぞ。
平成11年6月5日 朝の御理解(親先生) 御理解第37節  生きておる間は修行中じゃ。ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を読 むようなものであろうぞ。  花の生命は短くて 苦しきことのみ多かりき 信心がないなら、この世は苦の世、苦の世界。信心しても御利益を追うのみの信心 なら、やはり修行がつらい。信心を求めての苦労なら、力を受け徳が身について行 くのがわかるようになるから、楽しい苦労である。これが真実の修行になる。楽を しように楽はなく、楽はせんぞの信心に極楽がある。清く生きようとするから難し い。この身このまま助けて下さる神様である。すなわち、即身成仏を願う信心であ る。    (昭51・7・20)  昨夜、松栄会と豊栄会と合同で、いつものとおり教祖様のお勉強会をさせて頂き ました。教祖様の御生涯の中でどういう問題があったか、皆さん一遍、自分で拾い 上げてみるといいですよ。ところが、正神様の問題でも、自分で一つ拾い上げてみ てごらんと言うのですけれども、それをやった人が誰もいません。  初代がお元気な時分、特に昭和四十五年ぐらいから、間違いのない手応えと確信 を頂きながら、訴えるようにして和賀心時代を提唱なさいます。そして、昭和四十 九年には、表行全廃の御理解が出るわけですね。それは、「今日から合楽の信心が 大きく変わりますよ。結局、金光教の信心は表行全廃なんだ、心行一本なんだ。だ から、もしこれから表行をしたら破門にする」というほどの御理解なんです。とこ ろが、何の反応もない。今思うても、心がかきむしられる思いがします。ですから 初代のお元気な時分に、私どもは成り行きを尊ぼうとか、和賀心になろうなんて、 これっぽっちも精進してなかったです。今ですよ。本当にここ数年じゃないですか。 皆さんが本気で成り行きを尊び、成り行きの間違いなさというものを、少しづつ体 験していかれているのは。  私は、今日の御理解を頂いて、教祖様がどうしてこういう発想ができられるのだ ろうかと思います。私達は、生きるということの中で、問題との出会いどおしです よね。ですからお釈迦様は、一切皆苦とか、無常とかとおっしゃったのです。とこ ろが次のこの発想です。それは「ちょうど、学者が年をとっても眼鏡をかけて本を 読むようなものであろうぞ」というこの発想が、何でできられるのだろうかと思い ます。お釈迦様は、「この世は苦の世、苦の世界だから仕方がない。あの世に行っ て極楽に住もう」というわけです。もちろん、この世でその苦から解脱するために、 八正道を唱えられました。けれども、その中の一つの正命道でも、托鉢の生活を勧 めておられるのです。ですから、とても普通の凡人ではできないことです。ところ が教祖様は、学者が難解な本を読んで研究する、そこに発見の喜びがあるように、 どきどきするような思いで、人生の問題を見ておられるということです。この問題 を通して、今日は何を神様が発見させて下さるんだろうかと、どきどきわくわくす るようなことでしょうが。  そこで皆さん、どうですか。教祖様は、御生涯の中でどういう問題に出会われま したか。ご幼少の頃は、ずっと病気がちだったでしょう。養子に行かれて、七墓を 築かれます。それから、四十二歳の大患ですね。それから、明治六年の神前撤去ね。 子供さんが次々に病気をするというのもあります。大きい問題の一つは、正神様の 問題です。宮建築の不成就もありましょう。それと山伏事件もあります。明治九年 くらいから、今度は国の警察官が妨害に来るわけです。それでは、ご晩年はどうで すか。教祖様のご病気ですね。教祖百年祭が昭和五十八年でした。その前年に、全 国の教師が集まって、初めてこの『お知らせ事覚帳』を見せて下さいました。教祖 様のご晩年の病状が、余りにも初代の当時の状況と酷似していて驚きました。そう いう事実を知って、この御理解三十七節を頂くと、本当に頂き方、重みが違います。 教祖様も最初は、「残念至極と始終思い暮らし」というようなことですけれども、 段々信心が進まれるにつれて、どういう頂き方をされるようになられたかです。問 題があるたびに、それこそ、わくわくどきどきするような思いで過ごされるように なられるのです。そこに、私は教祖様のすごさを感じますね。この世は苦の世、苦 の世界で諦めるのでもなければ、八正道のような難行苦行をしなければ有り難くな れないというのでもない。現実の問題の中で、その問題を、わくわくどきどきとし て受けられるという信心です。本当に前代未聞の御方です。  そして、その生き方が、我々凡人が容易にできておるということです。そうでし ょうが、皆さん。成り行きを頂くとはこんなにすごいことかと、こんなに神様を身 近に感じることかと、皆さん感じておられるでしょう。問題があるたびに、本当に わくわくどきどきするようなところまでは、どうだろうかとは思いますけれども、 成り行きの比礼が見え出しておられるのです。 この一年半、成り行きに本気で填まらせて頂きたいと思います。そうい意味で、 今神様の下さるその時その時の成り行きを、ひとつひとつクリヤーしていかないと、 神様が諦められますよ。初代は、晩年は諦めてあったですもんね。私たちが本当に よちよち歩きでしたから、神様がある時に、「語るだけ語っておけ。後は後の者が よいようにするから」と、おっしゃったことがあったのです。けれども、もうぼつ ぼつ、そんな信心しよったのでは馬鹿らしいと、お互いが思わなければならない時 にきてるのではないでしょうか。どうぞ。
平成11年6月4日 朝の御理解(親先生) 御理解第66節  人間は、勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も 言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良いの悪いのと言うて、死ぬる 時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる。  教祖様ほど素朴な生き方をなさった方はあるまい。しかも天地の道理に基づき、 『討ち向かう者には負けて時節に任せ』と言う生き方こそ土の心であろう。人間は 土より出でて土に還ると言われる。その道中とても土の心を身につけての生き方こ そ、御道の信心者の神髄でもあろう。        (昭57・7・26)  教祖様の御事跡、並びにご信心のご内容というものを分からせていただけばいた だくほど、教祖様ほど、徹底的に受けて受けて受け抜かれた方はあるまいと思うく らいです。どうでしょうかね、皆さん。  たとえば、棟梁さんに裏切られてはまた使い、裏切られてはまた使い、それが六 回です。結局棟梁さんが亡くなって、教祖様の御在世中には、お広前建築がならな かったということになるわけです。それに例の山伏事件があります。それも十年も 続くわけですから。そして、この『お知らせ事覚帳』の中心になりますのは、ご長 男の正神様の問題ですね。それに娘さん二人が離婚して帰ってみえます。それが落 ち着いたかと思いますと、今度は当時の国の政策によりまして、警察官が度々やっ てきて、布教妨害をします。  今日の御理解にありますような日柄方位というのは、当時としては、生活の基盤 だったのです。私たちの場合はあまり実感はないのですけれども、この日柄方位を 打破されるというのは、大変な勇気がいったことだと思います。そこをひとつふん まえて見て頂きたいのですが、八十九ページに、「四月四日、此方始終仕合わせ」 とあります。四月四日というのは、四が二つ続くでしょう。やっぱり忌み嫌う数字 なんです。ところが教祖様は、「始終仕合わせ」と読まれたわけです。今私は、 『覚帳』をそのまま写しているのですが、今広げているところが、明治六年になり ます。この年の四月十一日に天地書附が定まりますが、四月四日のお知らせが、 「何事もみな天地乃神の差し向け、びっくりということもあるぞ」というお知らせ です。私は本当にびっくりしました。この御理解六十六節で教祖様が言われたいこ とは、「三百六十五日丸々おかげ日だよ」ということですね。それを『天地書附』 では、今月今日と使われたわけでしょう。今月今日、今日ただ今が、一番良い日、 祝い日だというのが、あの今月今日の意味なんだそうです。私が「教祖様こそ一切 神愛の創設者だ」と言う根拠は、ここにあるわけです。 「人間は勝手なものである」と。今日はここが私の胸にぐさっときてるわけです。 本当に人間は勝手ですよ。自分の都合の良いことはおかげと言うけれども、都合の 悪い人は、「あの人は悪い人」と言うでしょうが。ところがどうですか。あなたに とって都合の悪い人をじっと見よってごらん。あんたによく似ているか、あなたに ないものをその人が持っていますよ。たとえば夫婦なんかというのは、大体相性が 悪い者同士が結婚してますよ。一番相性が悪いから、磁石のプラスとマイナスのよ うに引き合わされたのです。だからお互いが磨き合えるわけでしょう。初代はそれ を、「共に磨きつ磨かれつ」とおっしゃいました。  天地書附は、教祖様の一切神愛の確立だと思います。そこに至るまでに、教祖様 でも、神の頼みはじめから十五年かかっておられます。私が本気で成り行きを尊び だして十七年になるんですけど、今、成り行きのひれいが見え出したなあという感 じがするのです。どうでしょうか、皆さん。本当に成り行きとはすごいなあと、ど れだけ確信できるようになったでしょうか。初代が、「この一手を教えたいばかり に、ある時は鬼か蛇かというような顔をして、その人の上に現れる」とおっしゃっ ています。そういう成り行きの頂き方には、必ず、成り行きの比礼が見えてきます。 教祖様の場合は、元をとって道を開かれた方です。元をとって道を開く人は、時間 がかかります。けれどもその食べ方、味付けの仕方、料理の方法を習った私達は、 その気になればすぐに、有り難く、美味しく頂けますよね。教祖様が十年、二十年 かかられたところでも、本気で填まれば、二、三年で成就できると私は思います。 だからみなさん、せめてこの一年半、填まって成り行きを頂いてみて下さいと言う のです。  私は、今まさにときめきの時だと思います。「時めく」とは広辞苑に、「よい時 機にあって栄える。時を得て当時の世にもてはやされる」とあるそうです。今、教 祖様を現すのに一番絶好の機会です。成り行きは神の働きと見極めるには、最高の 時だと思います。今皆さんの心がときめかないなら、成り行きとの交流がないから です。教祖様との交流がないからですよ。天地書附にあります、「今月今日」とい うのを見ても、教祖様は毎日ときめいておられただろうと思います。それこそ、今 日は神様がどういう御教導を下さるだろうかと思うて、ときめいておられたのでは ないでしょうか。初代は、「土の心こそ金光教の信心の神髄」とおっしゃっていま す。教祖金光大神の信心を端的に絵で表せというなら、明治八年に描かれた、この くぼみの絵です。これは、一切を受けて受けて受け抜かれた図だと思います。そし て、一番得をなさったのは教祖様です。くぼいところに水が寄るごとく、おかげの 一切、幸せの一切が、ここに集まっただけのことですよ。私は、そういう信心に 「信心が極まりました」ということにならなければ、いつまで経っても心はときめ かないと思いますね。どうぞ。
平成11年6月3日 朝の御理解(親先生) 御理解第51節  天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家業できがたし。 身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子身の上のこと 何なりとも、実意をもって願え。  親神なればこそ、氏子なればこそ、願い願われることである。身の上のこと、氏 子が幸せになるための一切が願われる。それは、幼子が母の膝に乳を求めてすがる ように、無心であり、純真そのものである。『実意を持って願え』とはそのような 道理を知り、このような心で願うのである。 (昭52・7・3)  信心がだんだん進んでまいりますと、私共と神様の関係というのが、当然、変わ っていかなければなりません。皆さんの場合、どうなんでしょうか。  確かにこれは、本当のことが分かれば分かる程、すがらずにはおれない、願わず にはおれないことに、段々なってくるんだと思います。神様に願うということは、 結局、神様のおかげを頂かなければ立ちゆかんと思うから、切実に願わずにはおれ ないわけです。自分で出来る、自分で何とかする、というなら、そんなに神様に願 う必要も、すがる必要もないわけでしょうから。確かに、我無力というようなこと が本当に分かった人でなければ、こういう実意な願い方は出来ないということでし ょう。私はこの御理解を頂く度に、まだまだ自分の信心の目が粗いなと思うんです。 結局、やはり自分で何とかしようと思ったり、また、自分で何とか出来るというよ うなものが強いからだということになりましょう。  教祖様と神様との関係というのは、一番最初はどうでしょうか。いわゆる金神様、 怖い怖い神様ですよね。または、他人行儀的な関係です。それが慶応三年には、こ の御理解にあるように、親ではないか、子ではないかという関係になっていかれて るわけです。そういう関係を思うていただくと、この御理解は驚くべき御理解です。 そしてこの御理解は、「天地の神のひれいが見え出した。かたじけなく、金光、神 が一礼申し、以後のため。」というところまで続くんです。 昨日私共は、不知火の先生から、柳川の方にご案内頂きました。ですから大奥様、 それに栄四郎夫婦など行かせて頂いたんです。これはいつものことなんですが、神 様の手の込んだご演出と言いましょうかね。教祖様が「道を歩いておろうが、畑で 肥えをかけておろうが、神の中を分けて通りおるような」と言われますが、これは 決して教祖様の専売特許じゃないと思いますね。信心するものは誰でもが、日々の 生活の中に、神様を身近に身近に感じて生活できなければうそだと思いますね。も し神様を感じないならば、どこかであなたと神様との接点がずれとるんだ、という ような感じ方をしていかなければいけないんじゃないでしょうか。昨日はずっと曇 り空で雨も降りませんし、おかげ頂いて、涼しい中に川下りをさせて頂くのかなと 思うていました。そして船に乗ったとたんでした。ぽつっぽつっと落ちてくるんで す。あれは小糠雨(こぬかあめ)というんでしょうか、細い糸のような雨がすーっ と落ちてきました。だからかっぱを着らんなら着らんでいいくらいな感じで、ずっ と降るわけです。船は約一時間位回りますが、私たちが船から降りたらぴたっと止 むんです。柳川に行くなら、みなさん、小糠雨の降る日がいいですよ。その雨が水 にポツポツと落ちるでしょう。それから緑が何とも奇麗ですし、石垣とかが濡れて、 「水郷柳川」と言いますけれど、私は初めて、「ほう、柳川とはいいなあ」と思い ました。本当に昨日は、こんな演出まで神様がなさるんだろうかと思うような成り 行きの中でした。 私共は外にちょっと出させて頂くにも願わずにおれません。なかには願うても、 ひとつもその働きを頂けませんと思う人もありましょう。どこが違うんでしょうか。 その信じ方が違うですよ。私の場合は100%、いや、120%信じて願いますか ら。いや、神様を信じるというより、成り行きを信じて願いますからね。  教祖様は明治元年に、「一つ、氏子の難なし、安心の道を教え、いよいよ当年ま でで神の頼みはじめから十一か年に相成り候。」と頂いておられます。教祖様でも 神の頼みはじめから十一年たっておられます。神の頼みはじめというのは、初代で いうなら四年半の修行に入られたようなものですね。それから徹底して、神様の仰 せのままに動かれるのです。みなさんは成り行きを尊びだして、ほんの一、二年じ ゃありませんか。私の場合はまだ完璧というわけじゃありませんけれども、十七年 かかってます。本当に成り行きを尊びだして、100%成り行きが信じられるよう になります。初代はその四年半の修行を終えられて、成り行きは神の働きというこ とを確認なさいますよね。そして確認から確信、そして確立という時代に入ってい かれるんです。 今日は、教祖様でも十一年かかっておられるんだなと思うて、お互いがいよいよ 神様にすがるけいこ、願うけいこを本気でしていただきたいと思います。それは成 り行きにすがるけいこ、成り行きにまかせるけいこです。けれどもこの御理解を頂 いて、私は、まだ目が粗いなと思います。お互い、自分で運転するんじゃなくて、 ひとつ本気で願うて運転してみて下さい。台所仕事に入ってもしっかり神様にお願 いして、成り行きにお願いして、その台所の御用に、ひとつ目ごまい願い方をして いただきたい。そこには、目ごまい成り行きを感じるようになりましょう。今日は、 ひとつ目ごまかく願うて、成り行きの中に、目ごまく神様を感じ続けていきたいと 思いますね。どうぞ。
平成11年6月2日 朝の御理解(親先生) 御理解第27節  昔から、あの人は正直者じゃ、神仏のような人じゃという者でも、だんだん不幸 なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろう が。なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておか げを受けるのとは別ものぞ。  信心しておかげを受けるというのは、それは、片仮名でも金釘流でも神様宛てに 手紙を書くようなもので、必ず御返事を受けることができます。それは、人が善い とか、悪いとか、字が上手とか、下手とかいうことは別であります。昔からいう 「誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん」等ということは、人間の勝手な言 い草でしかないと分かります。頼まんことには神も仏も知らんということです。 (昭45・7・9)  昨日に続いて同じ御理解を頂きます。こういう時には、神様が重ねがさねに「こ こを分かってくれよ」という御神意ですから、はっきりと腹入りさせて頂かなくて はならないと思います。そのミニ御理解の最初のところは、「信心しておかげを受 けるということは、成り行きを尊ぶということだ」ということになるのですね。な ぜかと言いますと、成り行きは、神様の働きなんですから。そうなりますと、片仮 名でも金釘流でも神様宛てに手紙を書くようなもので、必ず、御返事を受けられる のです。そして、これは、信心のベテランであろうが、初心者であろうが、関係が ないです。成り行きを尊ぶか、尊ばないかなんです。 今、伊万里の吉富さん夫婦を中心にして、朝参りのグループがあります。むしろ、 まったく信心のない人たちの集まりなんですけれども、毎日毎日が成り行き話で花 が咲くんだそうです。そういう成り行き話になってこないというのは、今までの宗 教観念と言いましょうか、信心する者は、こうあるべきだとかいうことが、大変じ ゃまになっているのです。まじめに生きよるという人ほど、人を責めるのです。特 に、今離婚問題が多いんですが、不思議なのは、良妻賢母の奥さんが離婚問題が多 いですね。これは、何でしょうか。結局、自分のこうあるべきだという尺度で、主 人を計る子供を計るでしょう。これは、以前、私がお知らせに頂いております。神 様から見た善人とは、「物事を善い方に善い方に取る人を善人というなり」と。こ れが一番当たってますよ。そして、反対に悪人とは、「物事を悪い方に悪い方に取 るのを悪人と言う」と。どうですか。 真面目であってはならないとか、不真面目になれということじゃ決してありませ んよ。神様が惜しいと思われるわけです。実意丁寧プラスの神信心なんです。大変 厳しいようですけれども、何十年信心しても、成り行きを尊ばないなら、神様もど うしようもないのです。確かに、信心の当初は、一生懸命お参りしただけで、おか げを頂きます。ところが、這えば立て、立てば歩めの親心です。今、私は、合楽の 信心は、成人期を迎えておると思います。今、神様が本音の教導をしてくださって おると思います。ですから、本当に惜しいと思いますよ。私が見よっても、あれだ け熱心に、例えば修行生の先生でも、朝参りはかかさない、人より真面目なのに、 信心の良い音が鳴っていない人がいますね。  今、亀有教会の高松和子先生からお礼の手紙がきとりましたけど、今度、あちら の御大祭で教祖様の講座をさせて頂きましたが、大変な反響なんだそうです。初め て参ってきた人達が、教祖様のことをもっと知りたい、というて、お参りがあるん だそうです。今、どこに行くでもこの教典を持って歩いて、読みたくてたまらんと いうような波紋が広がっておるそうです。そのような私どもと教祖様の関係になら なければならないと思います。どうでしょうか、みなさん。今、教典をごらんにな って、それこそ、わくわくどきどきなさいますか。何のけいこごとでもそうだと思 います。それこそ「最初にはさほどに好きではなかったけれど、会うたびごとの親 切が身にしみじみと染み込んで、今ではこちらが命懸け」というようなことなんで すよ、ね。少しずつそこに手ごたえを感じる。だから、そうせずにはおれないとい うことになってくるんだと思います。そういう意味で、今教祖様に触れるというの は、一番旬ですよ。ですから、教典を繰り返し繰り返しごらんになりよってんです か。本当にその行間、行間の中から教祖様が語りかけて下さるような働きを受けら れますよ。  教祖様でも同じです。信心の階段を一段一段、登っていっておられます。例えば この教典の22ページです。何回でも読みますが、どうでしょか。その時代に、医 師にかけるだけでも、大変なことなのに、二人の医師にかけ、一生懸命、神様にす がっておられますよ。そして、「神仏願いてもかなわず、いたしかたなし。残念至 極と始終思い暮らし」と。この至極というのは、このうえないということなんだそ うです。もうこのうえない残念至極さですよ。そして、この当時を振り返ってのこ の御理解二十七節です。  はっきり言って、お互い、信心していないのです。成り行きを尊ばないなら、神 様に手紙が届かないのです。どんなに毎日朝参りしとります、というても、成り行 きを尊ばないなら、神様に届かないのです。昨日、今日と神様から立て続けにこの 御理解を頂いて、私としては教祖様の「残念無念、こんな信心、こんな生き方はし てくれるなよ。どうぞ信心しておかげを受けてくれよ」という、メッセージを感じ る思いがいたしますね。どうぞ。
平成11年6月1日 月例祭御教話(親先生)  今朝から、御理解第二十七節を頂きました。これはまさに教祖御自身のことを述 懐しておられるのです。生来、真面目な方ですし、真に実意な方です。ところが、 金神七殺という難儀に出会われるわけでしょう。ですから、「あの人は正直者じゃ ったが、段々不幸なことになって、何が罰かぶっとるとじゃろうか」というように、 世間では、やっぱり噂をしますよ。教祖様も同じだったと思います。その教祖様が、 真の神に出会われて、「人がよいのと神に信心しておかげを受けるというのは別物」 と言われているのです。 ただ今、月例祭を仕えさせて頂きながら、ある方のことが、ちょっと気掛かりに なりましたから、お願いさせて頂きよりましたら、この御理解第二十七節のミニ御 理解の「信心しておかげを受けるということは、それは片仮名でも金釘流でも神さ ま宛に手紙を書くようなもので、必ず御返事を受けることが出来ます」というとこ ろを頂くのです。その方は、本当に熱心で、合楽に忠義を尽くしてこられたような 方です。皆さん、一つはっきり分かって下さい。「信心しておかげを受けるという のは別物」というこの信心をです。どういうことをもって神様が信心として受けて 下さるのかをです。ただ熱心にお参りをしました、教会に忠義を尽くしました、そ んなことは、神様が、初歩の段階では受けて下さいますが、全然、信心とは思って おられないのです。ですから、それは幼稚でもいいですから、成り行きを尊ぶこと です。成り行きを尊ぶということは、神様の心を心とするということですから、直、 神様との交流が始まります。神様がおかげを下さりたくても、ここに接点がないな ら、神様とても、どうしようもないのです。  今日、前講で発表しておりました先生は、発表の通り、夫婦そろって、ある教会 で修行しておりました。ところが、ご主人がガンで亡くなりまして、その真っ只中 に合楽にご縁を頂いたわけです。その当時、「これが、神愛とはとても思えません でした」とお話ししておりますように、そうだろうと思います。当時、私も同じと ころを通っていました。初代のあの百八十八日間の御修行というのは、本当に地獄 でした。「神様、何ということをなさりますか」と、本当に私も文句を言いました よ。けれども、それが三年、五年と経って来る間に、あのことがなかったらと、今、 本当に鳥肌が立つような思いが致します。今なら赤飯炊いて、お礼が言えれるので す。  私は、その当時、よく、「先生、神様の願いというものが、あんたに掛かっとる よ」と申しました。「あなたが、阿倍野の親先生のようにならなければできないよ。 お徳を頂いてごらん。それが、あなたの信心の財産になり、たくさんの人が助かる ための財産になるよ」というような話をしていました。  阿倍野の伊藤コウ先生は、布教してまもなくの頃、御造営を思い立たれる中に、 ご主人を亡くされるのです。そうしたら、ご主人の十日祭を終えた時に、責任役員 の人達から、「初代も亡くなられ、お広前を建てても無意味だと思いますから、役 を退かせて頂きます」ということを言われるのです。その時のことを述懐されて、 阿倍野の親先生は、「もしあの時に、『先生、しっかりして下さい。私達役員がが んばりますよ』と言うて下さったならば、あの人達に縋ったでしょう。ああ言うて 下さったおかげで、私は神様に縋ることが出来ました」とおっしゃっています。そ れが、伊藤コウ先生の布教の原点です。  第一に、教祖様が、「信心すれば誰でもが神徳が受けられる」とはっきりおっし ゃっていますよ。ところが、本気で神徳を頂こうと思うて、信心をした人達がおら れるでしょうか。旧教典の御理解十八節で、「皆も神になれる」とおっしゃるんだ けれども、過去百数十年の金光教の信心の中で、「私も教祖様のようになりたい、 私も生神になりたい」と思うた人が、果たして何人おられるでしょうか。金光教に ご縁のあるものが、その願いを持たないならば、教祖様が本当に泣かれますよ。そ こで問題になるのは、教祖様が、どういう信心をなさったのかです。 教祖金光大神様こそ、真に、家業の行の中に起こってまいります全ての成り行き を尊んで受け抜かれた方です。それが、何故、伝わらなかったのでしょうか。理念 として残ってないからです。それを、初代の場合、合楽理念というレシピで残して 下さったわけです。先ほどでしたが、吉富さんのところに、今、朝参りしておられ る方の、一人一人のお礼のお届けがありました。「別におかげを目当てにしてるの じゃございませんけど、現にガンが流れました。何十年とコルセットを巻いて、不 自由な方が、いつのまにか要らんごとなりました」と、置いたものを取るようなお かげを次々に頂いておられます。この成り行きを尊ぶという、神様の心を心とする なら、そのくらいのおかげは頂けるはずです。成り行きは神様が思いを一杯込めた、 あなたに対するメッセージなんですから、それを有り難う受けるなら、おかけが受 けられるはずじゃありませんか。それを具体的に言いますと、「一切神愛論」とい う御本の中にあります、次のくだりになります。「天地の親神様と私共の関わり合 いというのは、天地自然の働きと私共の日常茶飯事の中に起きてくる、その関わり 合いをです、それを神様の御働きと見、またそれを神愛と見るという、徹底した頂 き方。そういう頂き方こそ、神様が求め給ふ修行を本当に大事にする修行なのです」 と。これが、合楽のレシピですよ、皆さん。  今一番タイムリーな御時節に、私どもが巡り合わせて頂いております。どうでも 教祖様のご信心を明らかにして、打てば響くようなおかげを、お互いが頂きたいじ ゃありませんか。いうなら神様の心を心とする信心に焦点を当てて、一ついよいよ 金光教を明らかにしていきたいと思いますね。どうぞ。
平成11年6月1日 朝の御理解(親先生) 御理解第27節  昔から、あの人は正直者じゃ、神仏のような人じゃという者でも、だんだん不幸 なことが重なって、世間では、どういうものであろうというようなことがあろう が。なにほど、人に悪いことをせぬ正直者でも、人がよいのと神に信心しておか げを受けるのとは別ものぞ。 信心しておかげをうけるというのは、それは片仮名でも金釘流でも神さま宛に手紙 を書くようなもので、必ず御返事を受けることが出来ます。 それは人が善いとか悪いとか、字が上手とか下手とかいうことは別であります。昔 からいう「誠の道にかないなば祈らずとても神や守らん」等ということは、人間の 勝手な言草でしかないと分かります。頼まんことには神も仏も知らんということで す。                      (昭45・7・9)  特にこの御理解は、教祖様ご自身の述懐の言葉と頂かせて頂きます時に、本当に 身につまされる御理解です。教祖様は、ご幼少の頃から、大変な真面目な御方だっ たそうですね。そういう言い伝えはたくさん残っております。ですから、私も以前 は、「教祖様のような実意な人でなければ、神様には好かれないだろう」というよ うな思い方をしていました。ところが、そうじゃないですね。この御理解を頂きま すと、正直だけでは、何もならんと、はっきり言っておられるのです。ですから、 その実意丁寧な性格に、神信心がプラスされて、初めてそれが生きてくるというこ とですよ。ですから、あなたの性格に、神信心が寄り添えばいいわけです。私のよ うな性格でよかったと。私は、本当に最近、それを思うのです。  ですから、問題は、その神信心とは一体どういうことかなんです。一体信心とは 何だろうと、皆さん、思うたことがありますか。改めて、教祖の信心、初代の信心 を辿らせて頂くと、本当に信心の階段を一段一段昇って行かれております。 そういう意味で、教祖様のこの実像を分からせていただくと、誰でもが教祖様の ようになれれると、みんなが確信できると思うのです。とくにこの『お知らせ事覚 帳』は、「私の本当の姿を見て下さい」ということではないでしょうか。その中の 一つなんですが、二十二ページの九の四を見てください。どうしてそういう難儀に なったかということを、神様がお知らせ下さるわけです。その難儀の原因が、二十 二ページの九のはじめに書かれています。いわゆる「先祖のことお知らせ」の件で す。どう思います、皆さん。滑稽でしょう、はっきり言って。四つ足なんていうの は、世界中に埋まってますよ。それが、ご無礼になっているなんて、本当に幼稚な ことですよ。これは、まだ安政五年です。だから、時代背景が分かるとはっきりす るのです。いうなら、教祖様のご信心が、まだ幼稚な段階ですよ。それで、この霊 のことが出てくるのは、たった二箇所だけなんです。あとはもう一言も出て来ませ ん。  次に、二十二ページの後ろから四行目です。神様が、それこそ撫でたり擦ったり しながら、または、脅かしながらご教導なさっているものを感じます。そして、教 祖様のご信心がずうっと高まって行かれ、あの明治六年に入って行かれて、信心は、 和賀心になることであるというところまで見極めて行かれるわけです。もう一つ言 いますと、信心とは、いよいよ成り行きを尊ぶことです。ですから、お互い、どれ だけ和賀心が育っていっておるかを点検して下さいと言いたいのです。  初代の信心を端的に言うならば、『和賀心学』の第二巻の二十六章の中にありま す。そこで、初代が「私の信心の進め方を一言で申しますならば、結論すると、そ の都度に広く深く分からせて頂いて、このようなことを聞かせてまで、こういう問 題を通してまで、神様がかくまでして、このようなことを分からせて下さるためで あった。それが一つの感激ともなるというような頂き方なんです」と言っておられ ます。本当に初代の信心の進め方は、たったこの一手ですよ、皆さん。そして、教 祖様が、全くその通りなんです。 今、研修の時に、お広前建築の頼みのところを勉強していますが、棟梁の川崎元 右衛門という方が、何と六回、教祖様を裏切られるのです。御造営費を着服したり、 寄進勧化で回られる。それをねこばばするわけです。それが、実に六回ですよ。最 後には、棟梁さんが亡くなるということがあって、建築は不成就に終わるのですが、 こういう頂き方が、何故できられたかです。これが、正神様の問題になると、もっ とそうですから。何故、これが受けられたのかということです。  これは、間違いなく、そのことを通して、私の信心の材料としていかれたからで す。ですから皆さん、これは、確かにそういう稽古をするなら、それは、出来るよ うになるだろうということです。私達が信心させていただく中に、やっぱり幼稚な 時代があります。ただお参りすれば、それで信心しよると思いよった時代。または、 お届けして、一々親先生の言う通りにする。それでもう信心と思う時代。そういう 様々な段階を踏んで来るわけです。けれども、信心するというなら、これは、教祖 様で言うなら、明治六年からです。お互いが、どれだけの和賀心が育っていってお るか。どれだけ成り行きを神様の声と聞いていけれるか。信心とはそうですよね、 分かりやすく言えば。神様任せの生活ということは、成り行き任せの生活だという ことになりますよ。成り行きをお互いがどれほどに受けられるようになったのかと いうことでしょうね。  お互いが、せっかくこうやって信心の稽古をさせて頂いておりますから、本当に 信心しておると、言えれる一つ信心を、頂きたいと思いますね。どうぞ。 <合楽教会御理解目次へ戻る> <日本語表紙へ戻る> --------------------------------------------------------------------------