金 光 教 合 楽 教 会 の 御 理 解

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  皆様には日々成り行きの中で、神様と交流しておられることと存じます。
  さて、昨年の夏以来御理解配信が中断しておりましたが、3月1日の御理解より
再開させて頂くことになりました。但し御用の都合で、親先生の御理解だけをお送
りすることになりましたので、月に10教話ほどになる予定です。また、掲載日時
が流動的になりますこと、ご了解下さいますようお願い申し上げます。
  何かご意見、ご質問などがございましたらご連絡下さい。

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平成11年3月28日 和賀心デー御理解(親先生)


御理解第33節 お供え物とおかげは、つきものではないぞ。


親が子に無条件にお乳を与えるようなものではなかろうか。
氏子私共も又、無条件に親神に尽くせるように育たねバならぬ。
無条件と無条件の出合い、そこに『天地人一如』の世界が開かれるのです。
                                                   (昭56・7・24)


 今、様々な宗教がありますし、またいろんな所で宗教のトラブルが起きています
が、それには必ず金銭が関わるわけです。ですから、皆さん、どんなに素晴らしい
教えがあったり、どんなに霊験奇跡を現しても、金品を要求する宗教は、絶対、邪
教と思わなければいけません。「いくら持って来なければ助からん」などと言う神
様がおられるはずがないじゃないですか。
 けれども、次々と難儀に出会うならば、何とか助かるおかげを頂きたいと、誰で
も、藁をも縋りたいような気持ちになるものです。ですから、お互いが何にもない
時に、何が本当なのかを見極めておかなければいけません。そういう意味で、金光
教は実意です。「お供え物とおかげは付きものではないぞ」と、はっきり言う宗教
なんて、他にないですよ。しかも、このことも、教祖様は自らの体験を元にして、
語っておられます。
 以前にも申しましたが、大坂の近藤藤守先生が初めて教祖広前にお参りされたの
は、明治十四年。教祖様がお隠れになる二年前です。当時はもう大阪の方まで布教
が広がっていました。それでも、寒々とした御広前で、六畳間の半分が荒むしろで、
蜜柑箱に神様をお祭りしてあるというような状態だったそうです。今、家内が教祖
様と四神様の奥様の勉強をしておりますが、四神様の生活はというと、八畳と六畳
の間、しかも、二階の六畳の間にお休みだったそうですが、ベニヤ板にトタン屋根
だったそうです。そういう中に、四神様は御生涯を過ごされました。私は、それを
聞かせて頂いて、本当に感動させて頂きました。ですから、この「お供え物とおか
げは付きものではないぞ」というのは、嘘ではないのですね。
 皆さん、今、何のために、教祖様の勉強をさせて頂いているのですか。まず、第
一に、教祖様の御信心を現させて頂くためには、教祖様の御事跡が分からなければ
いけないでしょうが。いわゆる御生誕から明治十六年の御帰幽までの教祖様の御事
跡をたどるということです。
 そして、問題はここなんですが、この御事跡を通して、教祖様はどういう信心を
確立されたのか、それが第二点です。教祖様のご信心の本質を明らかにし、教祖様
は私達に何を伝えたかったのかを明らかにすることです。
 昭和二十八年に御伝記『金光大神』という本が出版されました。金光教祖を知る
上で、最も手掛かりになっていたものです。読んでみて驚きますことは、一行たり
とも嘘がないのです。これは、教祖様の『覚書』を元に書かれているのです。しか
も、その裏付けになりましたのが、小野光右衛門、四右衛門という庄屋親子の日記
や公文書だそうです。それに、大谷村で起きた事柄が、全部、記載されているので
す。それを全部、金光教に寄贈して下さったのです。
 本当に、御本部の先生方の御苦労というか、それを全部調べ上げて、一行一句も
嘘のない事実に基づいて書かれているのです。とくに、山伏事件なんかもそうです。
これも事実で、文久二年から明治五年まで十年間続くのです。ところが、『覚帳』
には一行も書いてありません。『覚書』の方にも、わずか二、三行しか書いてない
のです。ところが、小野四右衛門という方の日記に、そのことが仔細に書いてあっ
たのです。
 この山伏事件を初代の場合で言えば、布教当初の周囲からの大変な非難に当ては
まるのではないでしょうか。なぜかと申しますと、まず、教師の資格を持たれてい
ませんでした。また、それまでの金光教とは全く違うことを、初代が言い出されま
した。それに、お参りする人達が増え、どんどん発光するものですから、周囲のね
たみがあったのです。教祖様と全く同じなんです。
 それで、肝心なことは、この時に教祖様が、どういう信心を進められたかという
ことです。それを理解しようとする時に、初代の信心を下敷きにしないと見えてこ
ないのです。どうですか、皆さん、初代がそういう時、どうされましたか。必ず、
初代が言われたのが、「結局、私が小さいからだ。大きくなりたい、大きくなりた
い」ではありませんでしたか。
 教祖様も同じですよ。そういう取り組みを十年間なさったのです。その信心の取
り組みを分かるということが、この山伏事件というものの御事跡を明らかにすると
いうことじゃないですか。しかも、この山伏事件という内容には、お互いが、日常
茶飯事に出会っているではありませんか。あの人から意地悪されたり、この人から
悪口を言われたりですね。そういう時に、お互いがどういう頂き方をしていくのか
です。
 教祖様のご信心をどうでも復活させなければならない責任が、合楽にはあります。
教祖様にしても、四神様にしても、大変な御修行の中で、何を伝えようとされたの
か、そこを、お互いが本気で分かろうという気にならなければなりません。「親の
心、子知らず」と言いますけれども、本当に教祖様の心が分かりませんでした。神
様の思いが分かりませんでした。ようやくその親の思い、教祖様の思いが分かる、
何かそういう御時節を今迎えておるのではないかというような気が致します。どう
ぞ。



平成11年3月21日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第43節 死んだからというて、かみのおかげを受けずにはおられまいが。 死に際にもお願いせよ。 あの世、この世。 人の世、神の世。 人、人の世に生まれ、 人の世のはかなさに目覚め、 神の世の住人にならんと欲する時、 いよいよ御教えを行ずる他に道なし。 この世はあの世のためにあるのです。          (昭57・7・3)  今月の一日、御理解四十四節を頂きました。「人は万物の霊長なれば、死したる 後神に祀られ神になることを楽しみに信心せよ」という御理解です。そして、今日、 この御理解四十三節を頂いてるわけです。いよいよ明後日が春の霊祭ですから、そ のことも関わっているでしょうけれども、いずれに致しましても、お互い、一度は 死ななければなりません。  ですから、いかに生きるかということも大切ですけれども、いかに死ぬかという ことを、一つ本気で問題にしたがいいのじゃないでしょうか。お互いが死ぬ時に、 何を持って行こうとしておるのか、何を残したいのか、そのことを思わなければ、 真の信心に入れないと思います。  今こうして成り行きの中で、教祖様の御信心をたどらせて頂き、御伝記の勉強を させて頂いていますが、何のためでしょうか。ただ、困ったことをお願いして、お かげを頂く程度の信心なら、こんな難しい勉強は必要ありません。お互いが本当に、 子孫繁盛家繁盛のおかげを頂き、この世あの世を通しての助かりを頂きたいためで す。  そういう普遍的助かりを残されたのが教祖金光大神様です。また、その道を明ら かにして下さったのが大坪総一郎師であり、合楽理念です。ですから、合楽理念を 勉強して、教祖様の信心を勉強しよう、ということになっているわけです。  どうですか、皆さん。目を覚ましてドキドキワクワクしますか。そうでないなら、 生きる焦点が違っているからです。難儀なところを通っておられるある方が、「先 生、まだ修行しなければいけませんか」と言われます。けれども、私は、初代のお 手替わりをさせて頂いた当初、難儀が逃げるなら、捕まえてからでも稽古したかっ たです。私は本気で力を頂きたい、御徳を頂きたい、横綱、大関にもなりたいと思 いました。だから、それこそ難儀にお願いしてからでも、取り組みたかったのです。  そういう信心を積み重ねていくなら、必ず、今日は神様が何を教えて下さるだろ うかと思うたら、本当に毎日ワクワクドキドキするようになりますよ。  私自身が、この御理念という階段を登らせて頂いて、去年ぐらいから、ようやく 教祖様のご信心にたどり着かせて頂いて、今、皆さんと一緒に、教祖様の勉強をさ せて頂いているわけです。ですから、『お知らせ事覚帳』の現代語版を、著者の日 本橋教会の畑先生に直接お願いさせて頂き、大量に注文させて頂きました。そうい うことから、畑先生も合楽の信心に関心を持って下さって、ぜひ合楽の書物を読み たいとおっしゃり、月刊『合楽』を渕上先生が送ってくれています。  その畑先生が、「初代畑徳三郎先生のみ教えに、『成るままに成すこそ人の道な らめ 神の心を心とはして』とあったが、合楽で言われる成り行きを尊ぶというこ とが、こういうことであったのですね」と言うて、お礼の手紙を送って下さいまし た。確かに、この東京の初代がおっしゃってる「成るままに成すこそ人の道ならめ 神の心を心とはして」という、この成り行きを尊ぶという生き方が、この世あの世 を通しての助かり方です。  ですから、問題は、その道をお互いが歩きたいと思うか思わないか、神様の心を 心としての信心をするのか、自分の思い通りになることを信心とするのかの違いで す。  教祖様が一変されたのは、あの安政四年からです。『お知らせ事覚帳』が、安政 四年から書かれていますよね。それまでは、教祖様も、自分中心の信心なんです。 恐いからお参りされたのです。あれをお願いせねばならない、これをお願いせばな らないから、信心をなさったのです。ところが、安政四年からは、神様の仰せのま まに動かれたのです。  ですから、お互いがどうでも、より本当なことを分からせて頂いて、自分の願い をかなえてもらう信心から、神様の心を心とする生き方が一番本当なことであり、 一番本当なことになるということの確信を頂かなければなりません。  そういう意味で、お互い、「あの世に行ったなら」ということを一つ前提にする と、もっと違った物の見方、考え方が出来るのではありませんか。その視点から見 た時に、日常茶飯事の、あれが欲しい、これがしたいということが、どれだけの値 打ちのものかということになります。それでいて、この世でも生きてるわけですか ら、肝心なのは、この世でも助かり、あの世でも助かるということです。この世で も助かり、あの世でも助かる生き方が、金光教の助かり方なのです。その道が、御 理念に説かれているのです。 どうぞ。
平成11年3月14日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第51節 天地の間に住む人間は神の氏子。身の上に痛み病気あっては、家 業できがたし。身の上安全を願い、家業出精、五穀成就、牛馬にいたるまで、氏子 身の上のこと何なりとも、実意をもって願え。 「草野球に勝たせて下さい」といったような無邪気な願い。 生身の人間が、その生身のままで幸福になろうとする時の素朴な願い。 こういうおかげは、おしゃぶりを頂くようなもの、本当の血肉になるおかげを頂か ねばならない。 『実意をもって願へ』とはそういうことである。    (昭57・7・11)  「願いの信心は最高峰」と言われるのですけれども、お互いが、願える神様、す がれる神様を頂いておるということが最高だと思います。  今、毎日のように、東京のあるご婦人から、家内に電話がかかってくるのです。 ご主人は、とんとん拍子で出世をし、子供達もそれぞれ成長して、それこそ何も言 う事のない人ですが、ちょっとノイローゼ気味で、家内に相談があるわけです。家 内がお話をさせて頂くと、声色から変わって、その方が助かって行かれる様子が手 に取るように分かるというのです。  そういう中に、私はある方から本を頂きまして、何気なしにそれを広げましたと ころに、その方と症状が全く同じ人の事が載っていました。誰か話相手が欲しいけ れども、実際、会うのが怖いというので、部屋を閉め切って、一日中布団に寝てお るというのです。  そういう人がずいぶん多いそうですね。去年一年間に、自殺者が二万四千人あっ たそうです。一日で六十数人ですよ。ですから、そうやって心が虚ろであったり、 心寒々と生活したりしておられる方は、もっとおられるのではないですか。そうい う意味で、私達の場合、すがり甲斐のある神様を頂き、また助かりの手立てである、 この御理念があるということは、本当におかげを頂いておるものだなあと、改めて 思います。  よく初代が椛目時代に、「許されるものならば、それこそ三味線、太鼓を叩いて からでも、この信心を伝えたい」というようなことをおっしゃていました。今、私 が全く同じ心境なのです。私は力もありませんし、大して勉強もしてませんけれど も、この教祖様のすごさを何とか伝えられないだろうかと。もしそういう場がある なら、私はどこにでも飛んで行く、という気持ちにならせて頂いています。  ですから、昨日、「教祖様、この私の思いをどう伝えたらいいんでしょうか」と いうような思いで、昨日、『和賀心教典』を開かせて頂きましたら、御理解五十一 節を頂いたのです。その時は、ピンとこなかったのですが、今日、また、御理解五 十一節を頂いて、改めて、お互いが、願うことの出来る神様、すがれる神様がある ということはすごいことだなあと思うのです。  この内容は、願いの信心の基本になるものです。それも、「飴玉を下さい」とい うような願いの信心ではなくて、「神様の心を心とした人達が願っていく」という 信心です。  『金光教教典』の173ページに、【十月十四日早々、一つ、驚きありても信心する 者には心配なし。夏ばかりとは言わんぞ。寒でも不意病はあるぞ。天地の間のおか げを知った者なし。おいおい三千世界、日天四の照らす下、万国まで残りなく金光 大神でき、おかげ知らせいたしてやる】とあります。  皆さん、この『お知らせ事覚帳』を頂く時は、基本的には、一行の無駄もないと いうこと、もう間違いなく、神様の深い御神意があって、一行一行が書かれている という頂き方をしなければ、いけないです。  105ページに、【旧暦四月四日お知らせ。何事もみな天地乃神の差し向け、びっく りということもあるぞ】とあります。この下地が分かっていないと、先ほどのの御 神意が分からないと思います。お互いが生活する中で、様々な成り行きがあり、出 来事に出会います。それこそびっくりするようなことも、いくらでもあります。そ の一切が、神様の働きだと言われるのです。  ですから、この御理解五十一節の内容は、「あれもおかげ、これもおかげと分か った人達が、どういう願いでもしてくれよ」ということです。そこを踏まえて、も う一遍、173ページを読んで見て下さい。すごいですよ、この御教えは。  【一つ、驚きありても信心する者には心配なし】と。どんなにびっくりすること も、心配なことも、全部神様のおかげだよということです。【夏ばかりとは言わん ぞ。寒でも不意病はあるぞ】と。何が起こるか分からないぞということでしょう。 そして、【天地の間のおかげを知った者なし】と。自分の思い通り、例えば飴玉も らった時だけはおかげと言うけれども、本当の神様のおかげを知った者なしと言わ れておるのです。いうならば、合楽で言われる一切神愛ということを知った者がい ないということでしょうが。  そして【おいおい三千世界、日天四の照らす下、万国まで残りなく金光大神でき、 おかげ知らせいたしてやる】と言われるわけです。起こって来る事の一切が、神様 の働きであると分かるということが、神様の心を心とすることです。このように、 おかげを広げた人はおられませんよ。あれもおかげ、これもおかげ、いうならば一 切がおかげということを知らしめた宗教はほかにはないですよ。  ただ、おしゃぶりや飴玉を頂くことのための願いの信心ではなくて、神様の心が 分かった人が、どうでも願いの信心になっていかなければならないと思いますね。 どうぞ。
平成11年3月7日 和賀心デー御理解(親先生) 御理解第63節 一粒万倍と言おうが。一人ががおかげを受けたので千人も万人も おかげを受けるようになるから、よい手本になるような信心をせよ。 『手本になるような信心』とは、どんな苦しい時でも、神愛を思うたら有難涙がこ ぼれるような、どんな場合でも神にお礼が言えるような信心である。それが出来た ら『一粒万倍』のおかげが受けられる。   渋柿は皮をむかれてつるされて 白粉ふきつつ甘くなる哉 問題ハ皮をむかれるとき、つるされながら渋がぬけてゆくとき、神の心の奥がわか るとき。                    (昭52・7・15)  今、様々な恩恵条件を頂きながら、教祖様のご信心を、たどりたどりさせて頂い て、改めて思いますことは、本当に教祖様というお方は、普遍的助かりを明らかに して下さった方だと思います。特別な助かりようというのではなくて、誰もが、ど の時代でも助かる道を明らかにして下さったお方だと思います。  この『金光教教典』は、金光教の宝です。いや、人類の宝ですよ。25ページの最 後の行に【先前は教えて下さる神もなし】とあります。「この天地金乃神様のおか げを頂く前は、次々と子供が亡くなり、七墓を築くようなことだったが、その時は 誰も教えてくれる者がなかった」というわけです。それこそ、法人(祈祷者)や医 師と、方々に手を尽くされたけれども、おかげにならなかった。それこそ、「残念 至極と始終思い暮らし」というようなことだったのです。そして、この安政6年の 時は、神様から、「ほうそうさする」というお知らせを頂いて、三人のお子さんが、 神様のおかげの中に全快をしていかれます。その感動の様子を、ほんの一行、【不 浄、汚れ、毒断てなし、結構にほうそう仕上げ。ありがたし】とおっしゃっている のです。これは本当に万感を込めた有り難さです。  そして、今日聞いて頂きたいのは、先ほどの続きに【先前は教えて下さる神もな し。今度は結構にお知らせ下され候。ありがたし。これで死んでもおかげ】とあり ます。この時、くらさん(長女)は、それこそ瀕死の状態なのです。ですから、結 局、神様は、このくらさんのほうそうを通して、何を分からせておられるのかと言 うと、「死んでもままよ」ということを分からせようとしておられるわけです。死 んでも神様のおかげの中ということを、分からせようとしておられるのです。そし て、結果的には助かられます。  次に、今度は宇之丞さん(三男)が、ほうそうにかかられます。この方は、後々 四神金光様になる方です。教典の28ページのbRですね。この方は、教祖様が四 十一歳の時のお子様です。四十二歳の二歳子というのは、親を食い殺す、と信じら れていたのです。ですから、生まれ年を翌年に切り替えられて、名前まで宇之丞と 変えられました。「それがご無礼になっておる」と指摘なさるわけです。これは、 神様が何を教えようとしておられるのか。結局、迷信打破を教えておられる、教導 なさってるわけでしょう。  私が申し上げたいのは、神様の教導というのは、「この問題を通して、このこと を分からせよう。この難儀を通してこのことを身に付けさせよう、という働きがあ るんだよ」ということです。今日のミニ御理解で言うと、「問題は、皮をむかれる 時、吊るされながら渋が抜けていく時、神の心が分かる時」という信心をしなけれ ば、良い手本にならないのです。  皆さん、どうですか。一生懸命お参りして、こんなお供えしたら、こんなおかげ を頂いた。また、親先生の言う通りにすれば、おかげ頂ける。それでは、良い手本 にはならないのです。金光教も、一時は、五百万の信者がおりました。けれども、 問題が起こると、そのご信者さん達が、蜘蛛の子を散らすように逃げましたよ。で すから、人に語り伝えられるような信心とは、「あの難儀な時にこういう信心を身 に付けました。あの時に、神様との関係が深くなりました」ということになってお かなければいけないでしょうが。  そういう意味で、本当に、教祖様のたどられた信心の過程というのは、皆さんが 登ろうと思うたら、きっちり階段がつけてあるということです。いろんな宗祖教祖 が、ここまで来れば幸せになる、助かるよと言っても、そこに至る階段をつけてな いのです。しかも、普通の人では、登れないのです。釈迦やキリスト様のような人 は、特別な方です。そういう意味で、金光教は、普通の人間が、普通の生活をして、 唯一助かっていけれる宗教だなあと思います。  私は昨日、ある成り行きから、絶対に教祖様を過大評価してはならないと思いま した。教祖様を虚像化してはならない、と。だからといって、反対に過小評価もし てはならない。そういう意味で、この度は、等身大の教祖様、実像の教祖様をどう でも明らかにしたいと思います。そして、その実像の教祖様が、今申しますように、 すごいのです。そのことの件りを、これまで私達は、余りにも、いい加減に見てお った、聞いておったなあということを思いますね。  これほどしの良い手本を残して下さった教祖の信心を、もう一度今日に蘇らせて 頂かなければいけない。私は、白神新一郎先生ではないけれども、今、本当に御道 案内を書きたい。そんな衝動にかられているわけです。まあこういう神様のご教導 が始まって、今日で七日目ですから、お互い、ぎこちないとは思いますが、合楽に お参りになります時には、ぜひ、『金光教教典』を持ってきて下さい。いや、皆さ ん、どうぞこれは、常日頃の携帯本にして下さい。どうぞ。
平成11年3月6日 朝の御理解(親先生) 御理解第40節 重い物を負うておるか担いでおれば苦しいが、そうでないから信 心は楽じゃ。家業を勤め勤めするがよい。 徳川家康という人ハ、此の世を重い荷物を背負って山坂を登る様なものと人生をみ ています。 世の殆どの人は、正にその通りだと思っています。 どんな重いものでも、楽しく有難く持って渡れる力を与えられる道を、金光大神ハ 教えています。 しかも人間が人間らしく生きる手立てを、家業をつとめつとめ身につけてゆけるの です。 その気になれバ誰でもが頂けるのです。        (昭56・7・31)  こうやって、教祖様の御信心をたどらせて頂く中で、段々はっきりしてまいりま したことは、もう間違いなく、教祖様は「特別な助かり、特殊な助かりをなさった のではない」ということです。確かに、教祖様も、それこそ裸足の行をなさったり、 様々な行をなさいましたよ。けれども、結論は、もうあんなことは、雑行であり、 迷いであると見極められたのです。  『教典』の631ページを読んで下さい。  【手で香をたいたり断食をしたり、寒中に垢離を取ったり、好きな物を断ったり する者がある。津川さん、あなたもだんだん断っておられよう。しかし、そういう ことはやめて、神様と約束を変えるがよい。そういうことは行ではない。迷いとい うものである】  初代もおっしゃっておりますが、「悟りの前の行は、雑行」です。それは、どう いう信心をすれば、神様が喜んで下さるのか、何が神様の心を心とする行なのか、 その手立てが分からないということでしょう。それをもう喝破しておられるわけで す。次に、671ページの真ん中ぐらいのところを読んでください。  【そこで、どの信心にも行があるが、どのような行をしたら神様の御心に沿わせ て頂けるか、ということをお伺い申しあげると、「世間には、水の行、火の行など があり、いろいろの物断ちをする人もあるが、此方にはそのような行はしなくても よい。巡礼のように白い着物を着て所々方々巡り歩く暇に、毎日の家業を信心の行 と心得て勤め、おかげを受けるがよい。世のため人のため、わが身の上を思って、 家業をありがたく勤めることができれば、それがおかげである。それが神様のみ心 にかなうのである」とみ教えくださった】  教祖様という方は、信心を極めに極めて、「信心とはこんなにみやすいものだよ。 もう家業の行一本でいいんだよ。後は、全てが雑行だよ」ということを明らかにし て下さったと思うのです。それを、初代は、「成り行きを尊びさえすればいいんだ よ」と、こんなにも簡単にして下さいました。なぜもっと、金光教が、この家業の 行ということをアピールしないのだろうかと思います。  私達が生活するということは、種々雑多な問題を抱きかかえながらのことです。 これまで、皆が、「その重い荷物を取ってもらうことが助かり」と、錯覚していた のです。確かに、その荷物をのかしてもらえば楽になりますよ。けれども、どうで すか、問題は、また来ますよ。そういう意味で、教祖様は、みやすい助かり方と同 時に、根拠のある助かり方を明らかにして下さったと思います。『おかげは和賀心 にあり』ということは、その助かりの根拠性です。  私が最近、思っていることは、今までの宗教観念を変えていかねばならないなあ ということです。『教典』29ページの一番最後の行に【これも神様お指図。何事も 仰せどおりに仕り】というところがありますが、これを読ませて頂いておる時に、 「これも神様の成り行き。何事も成り行きの通りに仕り」という言葉が、ふうっと 浮かんでくるのです。ですから、いちいち神様からお知らせを頂かなくても、家業 の行一本、成り行き一本で助かる生き方を明らかにして下さったのが、私は教祖金 光大神様であり、大坪総一郎師だと思うのです。  私が先日、神様からお知らせに頂きましたのに、21世紀というのは、間違いな く、方便の時代ではなくなるということです。ですから、方便的助かり、オカルト とかいうインチキ宗教なんか、絶対になくなりますよ。例えば御祈念して、山を動 かしたって、何になりますか。そういう特殊な助かり方ではいけないことが分かり ます。  そういう意味で、私はこの二年というのは、皆さんが、激変しなきゃ嘘です。教 祖様の御神号が次々に変わられたのが安政4年から安政6年までの、わずか2年で す。人が見て、「あの人は変わった」と言われるような変わり方です。本当にこの 2年です。それも、特別なことではない、家業の行の中で出来るのです。家業の行 というのは、生活が芯ということじゃないんです。信心が芯なんです。信心のため の生活です。生活のための信心だと、問題が来ると、また嫌なものが来たと思いま すよ。信心のための生活だと、問題の度に、神様のご親切を身近に感じながら、有 り難く、楽しく、愉快に、信心のけいこが出来ます。  合楽の「成り行きを尊ぶ」ということにしても、教祖様が言われる「家業の行」 ということも、どんな重いものでも、楽しく、有り難く持って渡れる力を与えられ る道を教えて下さっているのです。 どうぞ。
平成11年3月5日 朝の御理解(親先生) 御理解第14節 神は荒れ地荒れ屋敷をお嫌いなさる。 心が荒れてはおかげにならぬ。家の内が乱れておっては神さまがお嫌いなさる。 『おかげは和賀心にあり』『信心は家内に不和の無きが元なり』とおしえておられ ます。   輜重輸卒が兵隊ならば 蝶やトンボも鳥のうち 小さいことを揶揄したものでしょう。 信心も一人前になる為には心の養生、即ち大きく豊かになる稽古をする以外はあり ません。                    (昭44・7・31)  「限りなく豊かに、限りなく美しく」。これは、椛目時代に初代の信心のテーマ であった時代があります。初代は、本気でそのことに取り組まれたわけですが、今 思って見ますと、私達は、正直言って、そのことに全く精進しませんでした。  昨日の神愛会に、秋吉の北村先生が、私に『そのまんまでいいよ』という漫画の 本を持って来てくれました。その本には、「一番大事なのは、心の問題だよ」とか、 「地位とか財産とかいう鎧を着けるから、きついんだよ」ということを楽しく四コ マ漫画にしてあるわけです。ちょっと読むと、本当だなあと、本当に大きな心にな ったらいいんだなあ、と思うわけです。けれども、「心の問題だ」と言いながら、 どうやって、その心を作ったらいいのかという、肝心要のことは何も書いてないの です。どうですか、皆さん。どうやって心を作ってみえました? 皆さんの場合だ ったら、答えられるでしょうが。  肝心なことは、どうしたら心を豊かにすることが出来るのか、高めることが出来 るのかということです。結局、「養素拝山」です。あの問題で、この問題で、お互 いが美しくなって来たし、大きくなって来ましたよね。そして、教祖様の信心を見 て下さい。この明治九年だけでも、もう問題の連続なんです。『お知らせ事覚帳』 には、そういうことばっかりが書いてあります。それを、教祖様がどういう受け方 をなさったか、その事実を見てください。  124ページ16【六月二十四日早々、一つ、金光大神、人が小便放りかけてもこら えておれい。神が洗うてやる。人がなんと言うてもこらえておれい。天地の道つぶ れとる。道を開き、難渋な氏子助かること教え。日天四 月天四 金神をどうなり ともしてみいと申しておれい】とあります。  教祖様の場合は、山伏から、本当に小便ふりかけられた事実があられます。そう いう時に、教祖様は、それを全部、根肥やしにされていかれたのです。  明治九年の最初に戻って下さい。正神様が、暮れにむしんに来て、正月早々、帰 っていかれます。正神様の問題を一つ一つ書き上げると、ここまでもですか、とい うことが実感的に分かるのですが。そして、bTを読んで下さい。  【正神、衣類、質のこと、元利六円の余、一度に受ければ勝手よしと申し、願い。 お差し向け。一子大神より金子やり】  私はここを読んで、ドキッとしました。ここに「お差し向け」とありますが、教 祖様は、一切を神様のお差し向けとして受けられた方なんだなあと思います。  【一銭の銭もおしいと言えば決まりて辛抱いたし、借金もおいおい払い、顔の立 つようにしてやる、お知らせ。ありがたし。私も一銭、志。一文のうてもどうなら んこと。川賃にいたせいと申して、やり。飯後ひきとり】  ここの「私も一銭、志」、この内容が分かったら、本当に涙が出ますよ。ここま での口語訳を読んで下さい。【私も正神を思う心を一銭の金に込めて贈ることにし た(口語訳)】  そして、10には、二人の娘さんの離縁問題です。本当に一難去ってまた一難と 言いますけれども、一体これは何だろうかと思います。大事なのは、こういう問題 を抱き抱えながら、教祖様がどういうふうに頂かれたかなんです。  教祖様は、実際に、一切の問題を自分の根肥やしにされ、その問題で、心を磨き 改まろうとなさいました。そのことは、教祖様は書いてないのです。だから、これ も合楽理念というものを下敷きにすると、見えるのです。初代が「落ちぶれて袖に 涙のかかる時 神の心の奥ぞ知らるる」とおっしゃるように、「そういうことまで 見せて下さって、こういうことまで聞かせて下さって、神様が私の信心を進めて下 さる」と。教祖様も、そういう頂き方でしょうが。そこが一番肝心なところなので すが、教祖様は、そのことは書いておられません。  この明治九年の部分だけでも読んでみて下さい。次に、今度は違う問題が出てき ます。当時の神道国教化政策で、淫祠邪教は潰すという国の政策で、警察官から尋 問を受けられたり、いろんな難癖をつけられたりされます。肝心なことは、教祖様 は、様々な問題を通して、信心を進めて行かれ、心を大きく美しくして行かれたと いうことです。それを合楽では、成り行きを頂いて行こうと言っているのです。  今、こういう成り行きの中で、大変変わった御理解の頂き方をしておりますが、 その芯は、教祖様の信心を復活させることです。明治九年の部分だけを読んでも、 教祖様が次々と問題を頂かれて、何が何やら分かりません。そこに大坪総一郎とい う方の信心を下敷きにしてみますと、教祖様こそ、「家業の行で一切の成り行きを 尊ばれて、生神になられた方だ」ということが見えてくるはずです。
平成11年3月4日 朝の御理解(親先生) 御理解第64節 此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路 のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。 求めているものが与えられない淋しさ、悲しさ。時には腹立たしくなることさえあ る。 我が身の不徳を悟り、信心の奥処を尋ねたずねして行くうちに心も開け(心眼)求 める以上、願う以上の夢にも思わなかったおかげの世界に住む事が出来るようにな る。 『信心して徳を受けて身凌をするやうになれ』とはこのような事をいうのである。 (昭52・7・16)  教祖百年祭の時に、「おかげは和賀心にあり」という、教祖様のご一生を映画化 したものが出されました。昨日、それを改めて見せて頂きまして、本当に感動しま した。私の今の信心に照らして見られたからでしょう、最初から最後まで感動いた しました。皆さんも機会がありましたら、ぜひ見て下さい。  その中で、明治6年の神前撤去の場面があります。さすがの教祖様も、本当にが っかりしておられます。『お知らせ事覚帳』に「大和終わり」と書かれたほどです。 ですから、神様が「そう力を落とすな」と慰めておられます。そして、教祖様が何 を思われたのかです。その時に、天地書附が下るわけです。ですから、私は、この 天地書附というのは、教祖様の信心が育っていかれるのと、神様との、卒啄同時の 働きが満たされて、生みなされたものだと思うのです。  教典の99ページに、それを証明するような御理解があります。「一つ、天地金乃 神の道を教える生神金光大神社立てぬき、信者氏子に申しつけ。金光大神社願い、 一心に。拝むと言うな、願い致してあげましょうと申してよし。頼む氏子の心で頼 めいと申して聞かせい、わが心におかげはあり」。これは明治5年ですから、安政 6年の立教から、かなり時間が経っており、この間、ずっと神様のあいよかけよの ご教導があっております。すでに、ここに天地書附の原型があります。  ここに「拝むと言うな」とありますが、94ページには、「同じく7月24日、日天 四様、ご縁日。仰せつけられ候。運勢のこと、不振、作事、方角のことと、宅がえ、 縁談のこと、理解でよし」とあります。これは、明治4年ですが、当時のお参りの 仕方が、お伺いばっかりなんですね。そういう中で、「理解でよし」というご教導 が始まり、翌5年「おかげは、わが心にある」ということを教えなさいという教導 が始まります。  そして、明治6年の神前撤去となるのです。ですから、お伺いもできない、参拝 もできない、ということになって、いよいよ、「おかげは、和賀心にあり」と定ま ってこられるのです。身しのぎの出来る信心とは、このことでしょう。このことを 明らかにするために、教祖金光大神のご出現があったということになります。  次に、御神号が変わっていかれるところを見て下さい。これも驚異的な事実です。 教祖様のご信心の次元が上がっていかれる顕著な印みたいなものです。「安政4年 1月1日に、「神の頼みはじめ」を受けられて、「金神下葉の氏子」という御神号 を頂かれます。次に安政5年9月23日、天照皇大神との問答のところで、「金神一 乃弟子」の御神号を頂かれ、これからお知らせを受けられて、修行が始まり、お試 しが始まります。そして、安政5年12月24日に先祖のご無礼のお知らせが下がって、 その後に「文治大明神」という御神号を頂かれます。この頃から人が集まりだして、 隠居をされます。それで安政6年6月10日に、くら様の病気がありまして、そのす ぐ後に「金子大明神」という御神号を頂かれます。  ここで、何を分かってもらいたいかというと、教祖様が、ここのところが分から れたらこの御神号というように、信心を一段一段上られたということです。教祖様 は、「神様のお試し」という言葉を使うておられますけれども、そのお試しでお互 いが信心をアップするわけです。  安政4年、5年のところ読んで下さい。教祖様が、お客として招かれて、神様の 仰せのままに、みんなのお膳に酢を入れて回られるとか、「親戚の誰々が死んだか ら、お悔やみに行け」と言われて、親戚の者を全員連れて行かれたのです。当の本 人が出てこられたので、教祖様は、顔を真っ赤にされ、神様の言われた通り、「戻 しの風は、十層倍」と大きな声を出して、帰られたそうです。  本当に、信心が抜けるというのは、そういう時だと思います。これが、わずか2 年の間ですよ。初代にしても、同じようなところを通っておられますが、昭和23か ら25年まで、3年ですよ。だから、本当に皆さんが変わろうと思うたら、2、3年 で変われますよ。そんなに長くはかからないです。そのために、最終的に何が一番、 邪魔になるかというと、結局は、私達の世間体や、常識、観念です。  先日の夜、私が、たまたま歌のけいこをしているところに、信徒会長の池尻勝美 さんが来ましたので、「歌いなさい」と言ったら、勝美さんが歌ったのです。教祖 様が、あの当時、真冬に、神様から、「浴衣を着て、盆踊りを踊れ」と言われて、 一晩中、踊られる事跡があります。勝美さんは、歌が一番苦手なのです。その人が、 顔を真っ赤にして歌いましたよ。私は、それを見ながら、感動しました。確かに、 信心がランクアップするというのには、そういうことがあります。そして、私達は、 最終的には、「おかげは和賀心にあり」というところまで到達しなければなりませ ん。
平成11年3月3日 朝の御理解(親先生) 御理解第69節 信心はみやすいものじゃが、みな氏子からむつかしゅうする。三 年五年の信心では、まだ迷いやすい。十年の信心が続いたら、われながら喜んで、 わが心をまつれ。日は年月のはじめじゃによって、その日その日のおかげを受けて ゆけば立ち行こうが。みやすう信心をするがよいぞ。 好きこそものの上手なれ。 信心が好きにならねばならぬ。 それには信心の好きな人の話を聞く事。 信心の奥処を尋ねる楽しさ、喜ばしさ。 我が心に合掌出来る心には限りがない。 信心の節目節目を大切に。 節から芽が出る枝が出る。               (昭57・7・29)  教祖様の御信心を改めて頂いてみます時に、教祖様は、本当にみやすい信心を残 して下さったお方だと思います。それは、「普通の方が普通の生き方をして、そし て普遍的助かり方をなさったお方だ」ということです。どうですか、皆さん、初代 がなぜ合楽理念を提唱されたのか、その理由をまだ憶えておられるでしょうか。二 つありました。その一つが「絶対の道である」ということ。同時に、もう一つが、 「みやすく誰でもが助かる」ということです。ですから、私は、金光教の信心が、 みやすい信心にならなければいけないと思います。  本当に、教祖様にしても、初代にしても、信心がお好きであられました。けれど も、私達凡人は、そうではありません。むしろ私は、信心が嫌いなタイプです。私 は懐疑心が強く、この御理念というものがないなら、絶対に信心するタイプではあ りません。その私が、今では、自分の性格にお礼が言え、自分の心に頬ずりしたい ような気にさえならせて頂いています。ですから、誰でもなれます。  問題は「信心の節目を大切に」したかどうかなのです。そういう意味で、私は、 初代のお手代わりをさせて頂いて以来、この十六年間、本当に私なりに節目節目を 大事にしてきました。  皆さんには、教祖様の年表を作って頂きたいと思います。大枠でいいですから。 そうでないと、教祖様のご事跡を聞いても、それが教祖様のどの時代になるのか、 ぴんとこないでしょう。  昨日は、くら様の大病の模様を読ませて頂きました。教祖様もあきらめて、「ま あ仕方ない、裏の竹薮にでも埋葬せねばならないだろう」と思っておられると、く ら様が、「お母さん、小便したい」と言って、それこそ死にかけた病人が突然、庭 の先に出て小用をされます。それを見て、「妻は外仕舞いに出ており、そこへ来。 私、それみい、験下さったのう。ひきかかえてもどれいと申し」とおっしゃていま す。教祖様ご自身が、本当に恐れ入ってしまっておられます。  これは安政六年五月末のことですけれども、ここで教祖様は「死んでもままよ」 という境地を開いておられます。なぜ、それが出来られたのか、その背景があるの です。それまでに、神様の働きの一分一厘間違いのない働きを感じてきておられる から、「死んでもままよ」という心が出られたのです。  教典の十六ページの六を読んで下さい。ここは、教祖様が、お百姓さんの常識観 念を捨てて、神様の仰せのままに、うんかの駆除に油を使われませんでした。大変 な度胸がいることです。結果は、収穫が人の倍あります。次に、十七ページの九。 ここは、神様が、唐臼ひきの手伝いをして下さる事跡です。このように、「本当に 神様の働きというのは、間違いないなあ」という体験をされながら、くら様の大病 があるわけです。ですから、「死んでもままよ」で受けられたのです。  今日私が申し上げたいのは、ここなのです。私達は、「成り行きの中に、神様の 働きを見ることが出来る」ということを言いたいのです。ここが分からないと、信 心がみやすくなりません。ですから、問題は、「成り行きの中に神様の声を聞き、 神様の姿を見ていくこと」です。私は、そういう意味で、ちょっと極端な言い方か も分かりませんけれど、神様のお知らせを頂いたとかいうことは、もう、廃止した 方がいいのではなかろうかと思います。  なぜかと言いますと、初代が、あれだけ信心の好きな方が、あれだけの苦労をし て、せっかく、「成り行きが神の最高の働き」「成り行きは最高の御神意だよ」と。 「一切が神様の差し向けだよ」と。信心をこれだけ見やすくして下さったのですか ら、その見やすい道を歩いた方が、いいではありませんか。  教祖様のご出現、また、大坪総一郎のご出現の意味というのは、信心をみやすい ものにして下さったということです。けれども、そのみやすさが、親先生の言う通 りすればいいとか、神様からお知らせを頂くから、とかという程度のみやすさじゃ ない。私達凡人が、普通の生き方をして、本当に、「我ながら喜んで我が心がまつ れるようになる」ということです。  そのためには、本気で成り行きに填まることです。成り行きの中に神様の声を聞 いていく、成り行きの中に御神意を伺うていくというのは、普遍的な助かり方です。 必ず、我が心がまつれるようになるだろうと確信いたします。  実は私の中で、初代の信心の体系化を温め出して、十年くらいかかっています。 私は、最終的には教祖様のご信心の体系化をしたいと思っています。どういう段階 を踏まれて、生き神になられたかということ体系づけたいと思っています。
平成11年3月2日 朝の御理解(親先生) 御理解第64節 此方は参ってたずねる所がなかった。氏子はおかげを受けて遠路 のところを参って来るが、信心して徳を受けて、身しのぎをするようになれ。    御取次を願い御取次を頂いて帰る。私共の願いを聞いて頂き、又その返事     を聞いて帰ること。それを実行することが、お徳を受け身凌が出来るよう     になることであります。     先ほど長い間信心しておる或る老婦人の方が三カ月ぶりで参拝されました。    人間関係の問題で悩んで居られました。     そのとき、私は「それハ難儀のように見えますが、あなたに対する神さま     からのお供えですよ」と申しました。     「今日はあのお話を頂いて少しは心が楽になりました」と御礼申されまし    たが、そのことを神さまからのお供えとして、又御事柄として有り難く合     掌して受け得られる時、そのまま身凌の出来るお徳になるのであります。 (昭46・7・15)  今、合楽に願われておりますことは、百人一徳者の育成だと思います。それは、 結局、今日の御理解にあります「身凌ぎの出来る信心」者になることです。それで は、身凌ぎの出来る信心者とはどういうことかと言いますと、「成り行きは神様の 働き」というところまで見極めのついた人だと思うのです。  早速ですが、教典の14ページを正継さん、読んで下さい。  これは安政五年のお話です。教祖様の四十二歳の大患が、安政二年。立教神伝は、 安政六年ですから、ここはまだ立教神伝が下る前です。時代背景を分かってません と、立体感が分からないですからね。   【戊午(安政五)正月朔日、おもちを持って、亀山へ私まいり。早々、弟、   金乃神様お供えあげ。御礼、願い申しあげ候。戌の年は、神の言うとおりし   てくれ、そのうえに神と用いてくれ(立ててくれ)、神も喜び。】  例えば、合楽では、成り行きを頂ける人、いうなら成り行きの言う通りにする人 は、まあまあ出てきたのです。けれども、「成り行きを、成り行きと用いる」とい うことです。それは、どういうことだと思いますか。この成り行きを自分の力にし よう、この成り行きで神様の思いを分からせて頂こうということでしょうが。それ を初代が、「こういうことを見せてまで、こういうことを聞かせてまで、神様が私 に本当な事を分からせて下さる」という表現をなさったのです。  そして、今日の御理解です。去年、一年間で二万四千余の人が自殺しています。 「参って尋ねる所」がないのです。人生を相談する人がないわけです。ところが、 お互いは、参って尋ねる所がある、支えになる神様がある、杖に出来る成り行きが ある。これは大したことです。  教典の24ページに、長女くら様のご病気のことが書かれていますが、文学者で も書けないというほどに、見事な描写なのだそうです。これも安政五年の話ですけ れども、神様のお知らせを頂き、神様の一分一厘間違いない働きを実感されながら、 有り難い思いで受け抜かれております。それと比べて、安政二年まで、次々と七墓 築くというようなところを通られた時などは、その時のお気持ちを、「残念至極と 始終思い暮らし」と述懐されています。  お互い、ここに、参って尋ねる所があります。しかも、成り行きは神の働きとい うことなら、子に孫に伝えられるでしょうが。教祖様のように、神様のお知らせを 頂く。それは、大変いいようにありますが、お知らせを頂かなかったら、もう、だ めになるでしょう。そういう意味で、成り行きを神様のお働きと見極めていく生き 方は、それこそ万民が助かる助かり方なのです。  次に、千鶴子先生、教典の132ページを読んで下さい。   【明治十二己卯八月二十五日、一つ、早々お知らせ。向明神丑年女五十一歳、   金光大神をはかり、いつわり申し、一子正才神を追い出し。かけ引きいたし、   氏子にむしん、勧化を申し。神も気ざわり、立腹いたし。金光大神に取次願   い、神の差し向けをそむく氏子は手切れ。】     *一子正才神は長女くら様の神号で、藤井家に嫁いでおられ、向明神の      藤井きよのは姑にあたる。  ここで、「神の差し向けをそむく氏子は手切れ」とおっしゃっています。この言 葉が何回か出てきます。確かに、成り行きに背く人、成り行きのいうことを聞かな い人は、一番ご無礼だなあという感じがするのです。  私どもは、日々信心のけいこをさせて頂いています。こうやって参って尋ねる所 があり、しかも信心の手立てまで習いながら、信心のけいこをさせています。です から、成り行きを尊ぶことの意味合いを分かって、取り組んでもらいたいと思いま す。「成り行きは神の働き」というものが分かって、成り行きを頂くことを行じる のと、分からないで取り組むのとでは、全然、違ってきます。  そういう意味で、私どもの成り行きの頂き方というのは、素直に聞くのは、だん だん出来てきたけども、成り行きを成り行きとして用いるというところまで、一つ お互いが分からせて頂きたい。教祖様は、わけが分からないで、残念至極と思って 過ごされた時代があおりになります。教祖様のご信心のご苦労のおかげで、私達は、 それはしないですむわけですよね。  どうぞ。
平成11年3月1日 月例祭御教話(親先生)  今は、寝ても覚めても教祖様の事を思い続けるという感じです。そうします と、不思議に教祖様が、寝ても覚めても寄り添って下さるものを感じます。  私達は金光教人です。それにもかかわらず、教祖様の事を知っているといっ ても、今までは、何か架空の人物のような頂き方だったのではないでしょうか。 本当に申し訳ないです。ところが今、合楽理念の階段を登らせて頂く中で、や っと教祖様にたどり着いたというのが本当でしょう。この『金光教教典』、と くに、その中の『お知らせ事覚帳』というのは、宗教界の宝だと思います。  教祖様の弟に香取繁右衛門という方がおられます。その弟さんが金神様の神 がかりの状態になって、教祖様に宮普請のことを願われます。それが安政四年 の「神の頼み始め」と言われる事跡です。『覚帳』には、その事跡から記述さ れていますが、それから教祖様は、弟の繁右衛門さんの所にお参りされるよう になり、教祖様と繁右衛門さんは、同じ金神信仰から出発なさいます。ところ が、弟さんは、後に今井繁則と名も変えて、山伏に身を落とされます。  一方、教祖様の場合は、信心がどんどん進んで行かれます。信心が進むとい うことは、神観がどんどん変わっていかれるわけです。弟さんの場合は、金神 信仰のままなのです。繁右衛門さんと教祖様との違いはどこだろうかと思うの です。  教典の78ページを開いて下さい。教祖様が繁右衛門さんのお広前にお参り された記述の次に、「弟、早々、金乃神様へお願いあげ。金乃神様お喜び」と ありましょう。この「金乃神」の個所は、原本で見ると、「金神」と書いてあ るのです。そこに後で小さく「乃」を加筆しておられます。これは、教祖様の 神観が変わって行かれた姿なのです。恐い神様じゃない、祟り障りの神じゃな い。それこそ、向かい方一つによって、おかげを下さる、守って下さる神様だ ということが、だんだん分かってみえた時点で、とても金神などとは言えない と。そこで、なんとか今までとは違った呼び方がしたいというので、金乃神に なったわけです。後々は、ずうっと神様の位が上がっていかれて、「天地金乃 神」になります。  そのことを神様が、「その方は神の言うとおりにしてくれ、そして神を神と 用いてくれ」とおっしゃるのです。私はここだなあと思います。どうですか、 皆さん。神様の言う事は、まあまあ聞く人は多いですよ。ところが、神を神と 用いるということです。分かりやすく言いますと、初代がご健在の時分に、私 は、「初代の話は大したことないなあ」と思った時代があります。実際、そう いうことを言ったこともあります。初代は、実に寂しいお顔をなさいました。 その時に、私が毎朝、御理解第何節と言って、目を覚ますんです。そうしたら、 初代の朝の御理解が、きっちりその御理解でした。それが一週間続きました。 それから、私は「本当に、この方のお話は神様のお言葉だ」と頂くようになり ました。そうしたら、もう毎日毎日が、本当に神様のお言葉として頂けるので す。それが、「神を神と用いる」ということです。  例えば、火なら火も、用い方によっては火事になりますよね。だから繁右衛 門さんは、火は恐いものだと。いわゆる火の用心、火の用心で一生を終わった わけでしょう。ところが、教祖様は、同じ火でも、使い方一つでは、ご飯が出 来る、お湯が沸くということを、だんだん分かってみえます。とてもとても、 この神様は、本当に大したお方だということが、教祖様の中でだんだん分かっ てみえたのです。それでは、どうして、そういう頂き方が出来るようになるか なのです。  これは後で出てきますが、四十二歳までの、神様と出会われるまでの教祖様 は、病気で子供さんを三人亡くされる時など、戦々恐々だったと思うのです。 ところが、神様に出会われてからの教祖様は、神様の一分一厘間違いのないお 働きを頂かれて、「今度いついつ三人そろうて、ほうそうさせる」というお知 らせを頂かれます。今までとはまるで違うでしょうが。神観が変わる、難儀観 が変わるのです。それは何かと言うと、教祖様のお心が育たれ、変わられたか らです。  私は、それこそ疑い心が強い、辛抱力もない人間です。ある方が言いました。 「初代は、満月のような方でしたが、先生は、細い糸月のような感じがします」 と。本当にそうでしたよ。人を責めていました。ところが最近、自分で驚くの です。人の足元を見なくていいのです。責めなくてすむのです。どうしてこう いう心が育ってきたのだろうかと思いますが、ただ一つ成り行きを尊んだだけ なのです。「この成り行きを、私の根肥やしにさせて頂こう、これで私が研か せて頂こう」、たったそれだけのことです。それで確かに、私のような人間で も、自分の性格に御の字が付けられるようになりました。御理念に基づけば、 誰でも、そうなるのです。いわゆる、自分に惚れるということです。それが 「我と我が心を奉る」ということで、神の道をたどっていることになるではあ りませんか。  『覚書』の最初に、教祖様のご生誕の事が記述されています。「私は、貧し い田舎のお百姓の次男として生まれました」ということが書かれています。そ ういう意味で、教祖様は普通の方です。普通に生まれ、普通の生活をして、そ して神になるおかげを頂かれたお方です。その教祖様が、「ここにおられる皆 さんが神の子ではないですか。あなた達も神になれる」とおっしゃるのです。 ですから、皆さんも、生神を目指して下さいよ。私は、神になりたいと思いま す。また、今の私は、それこそ毎日毎日教祖様のご親切に触れさせて頂いてお ります。そういう手応えを頂きながら、信心のけいこが出来るということが有 り難いじゃありませんか。とくにまた、今月は霊月でありますから、また霊様 との交流も始まりましょう。神様との接点も出来ます。どうぞお繰り合わせを 頂いていきたいと思います。
平成11年3月1日 朝の御理解(親先生) 第44節 狐狸でさえ、神にまつられることを喜ぶというではないか。人は万物の 霊長なれば、死したる後、神にまつられ、神になることを楽しみに信心せよ。 金光大神の道は、凡夫の身そのままに神に至る道なり。 出家することもなく、修道院に入ることもなく、人間を幸福にせずにはおかんとい う神愛に触れながら……。 その親神の思いにふれる時、いよいよ神の道をたどらずにおられない。 (昭57・7・4)  今、もう一度、金光大神を頂き直そうということから、三時の研修を復活しまし て、修行生の先生方と毎日、勉強会をさせて頂いております。ちょうど初日に栄四 郎がお夢で、初代が装束を着けられて、「今日から研修を始める。春めいて暖かく なったから、霊様も一緒に参加して頂くから、霊様のお扉を開けなさい」と言われ るところを頂いているのです。私は、今、教祖金光大神様が、「私の思いを伝える 人が出てきた」と感動して下さっているものを感じております。  今日から、朝の御理解でも『金光教教典』をひも解かせて頂きますので、ぜひ、 皆さんも頂き直して頂きたい。早速ですが、教典の165ページを広げてみて下さ い。英治君、その27を読んで下さい。   27巳九月三日ご縁日、大しょうぐん、早々御礼申しあげ、お知らせ。一つ、    天地金乃神同様と申し、生神金光大神、恐れ入りますると申しあげ。  ここは、神様が、「お前は、神と同様になった」とおっしゃられる。そうしたら、 教祖様が、「生神金光大神、恐れ入りまする」、もったいないことですと言われる わけです。ですから、この御理解四十四節にしましても、教祖様の場合は、わが身 にそれを実証されたお言葉なのです。しかも、教祖様の場合、生活の現場の中で、 神になられた御方なのです。確かに今まで、いろんな宗祖教祖で、神になったとい う人は何人かおりますよ。けれども、それは皆、家庭を捨て、生活を捨て、そして 特別な行をしてのことです。  次に、3ページの2を信司郎さん、読んで下さい。   2金光大神生まれ所は、同国同郡占見村。香取千之助孫。父は十平、次男。    氏神大宮大明神祭り日、暮れ六つ前に生まれ、男。父酉の年三十八歳の年、    母は卯の年三十二の年。文化十一甲戌八月十六日、戌の生まれ、香取源七    と名つけ。母は益坂村徳八娘、おしもと申し。  これが、教祖様のご生誕の記述です。信司郎さん、何か感じます? 佐田さん、 どうですか。 (佐田恵美子=普通の生誕をされたと答える)。そうです。そこを 感じてもらえば良いのです。お釈迦様にしても、キリスト様にしてもそうですが、 どこの宗祖教祖でも、「私は特別な生まれの者で、普通の人間ではない」と、必ず 宣言するのです。ところが、教祖様の場合は、「私は普通の百姓の次男として生ま れました」ということを、堂々と書いてあるところに、私は何ともすごいなあと思 います。  教祖様は、普通の人間が神になられたのです。それでは、普通の生まれ方をして、 普通の生活をして、そして、どのようにして神になられたのか、なのです。ここが、 私がいつも申しますように、合楽理念というものを下敷きにしなければ、どうやっ て、教祖様が信心を進められたのか、その神髄が分かりません。由美子さん、どう ですか。(由美子=起こってくることをただただ素直に頂かれた)。 合楽的な言 葉で表現するなら、それしかないですよね。  次に、『お知らせ事覚帳』も見ておきましょう。141ページ14です。これは 度々無心に来られる長男正神様のことについてですが、もういよいよピークで、教 祖様も心が揺らいでおられます。三十数回も無心に見えて、もう許さんぞと。今度 心が狂うたら、犬猫同然に扱うぞというように、堪忍袋の緒が切れたというような 感じなのです。けれども、教祖様の場合、必ず、それを信心で頂き抜かれています。 ここからは、正神様のことは余り出てきません。ですから、私も少し、ほっとしま した。ところが、教祖様の場合、生涯、もうずうっと問題の連続なんです。初代が、 生まれて、一切神愛を確立するまで、本当に不成就の連続だったでしょう。全く同 じなのです。  146ページを広げて下さい。ここに書かれているように、教祖様は健康状態が 悪くなられます。その半年間の健康状態が、例えば、「腹下り、朝までに四度ぞう ぞう下り」というように、正直に記述されているのです。どうですか、皆さん、今 のところを読んで、一教の教祖が書かれるような事ですか。本当に、この『お知ら せ事覚帳』を読んで、いよいよ、「これほど赤裸々な教祖様が、嘘をおっしゃるは ずがない」という頂き方が出来るようになりました。  ですから、「神になった」ということも、本当に嘘はなかろうと。確かに教祖様 という方は、家業の行の中に起こってくる事柄、問題を通して、これで私が改まろ う、その問題で私が研こう、という生き方で、生神になられた方です。ですから、 お互いも、家業の行を通して、この調子で行くなら、私も神になれるなあという手 応えを頂いての信心をして下さい。 今朝の御理解から、『金光教教典』と『和賀心教典』を持参して、こういう形で、 信心の勉強を頂きます。教祖様の御信心がいよいよ明らかになれば、初代の信心も また、改めて浮き彫りになります。どうぞ、よろしくお願いします。 <合楽教会御理解目次へ戻る> <日本語表紙へ戻る> --------------------------------------------------------------------------